鎌田氏館(かまたし)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 鎌田氏
 遺構  : なし
 交通  : JR中央本線鳥沢駅徒歩15分


       <沿革>
           建暦三年(1213)の和田合戦の戦功により、鎌田兵衛尉が福地郷を与えられた。館も
          兵衛尉によって築かれたと見られるが、確証はない。
           「鎌田兵衛尉」を称する同時代の人物に、母が源義朝の乳母となった鎌田正清(政清)
          がいる。正清は、平治元年(1160)の平治の乱にて、義父長田忠致の館で義朝ともども
          騙し討ちに遭って殺害された。『吾妻鏡』によれば、義朝の子頼朝により正清の一人娘
          が名跡を継ぐことを許されたとされ、福地郷の鎌田兵衛尉はその縁者とも考えられるが、
          推測の域を出るものではない。現地説明板によれば、鎌田兵衛尉の諱は為成といわれ
          るともされる。
           兵衛尉以降の郡内鎌田氏についても不明である。


       <手記>
           桂川と軽沢川に三方を囲まれた三味線の撥状の台地を字堀之内といい、鎌田氏館は
          この台地のどこかにあったとされています。集落内の諏訪神社境内に館跡の説明板が
          あり、そこには北方の堀切と記されていますが、おそらく台地の付け根を指すと思われ
          ます。たしかに、ここを掘り切れば周囲から断絶でき、台地そのものを城砦とすることが
          できるでしょうが、実際に遺構があるわけではありません。
           諏訪神社境内には天然記念物の大ケヤキがあり、推定樹齢は300〜400年と流石に
          鎌倉時代には遠く及ばないものの、たいへんに見応えがあります。

           
 諏訪神社と大ケヤキ。
境内の説明板。 
 大ケヤキ全景。


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