オルテンベルク城
(Château de l'Ortenbourg)
 別称  : オルテンブルク城、オルタンブール城
 分類  : 山城(Höhenburg)
 築城者: ルドルフ1世
 交通  : セレスタ駅よりタクシー利用
 地図 : (Google マップ


       <沿革>
           1166年に築かれたともいわれるが、一般的にはルドルフ・フォン・ハプスブルクによって
          1262~65年の間に築かれたとされる。ルドルフは1273年に神聖ローマ皇帝ルドルフ1世
          として選出されるまで、この城に居住していた。ルドルフ1世は、ハプスブルク家から選出
          された最初の皇帝であるが、当時は大した権力はもっていなかった。
           1291年にルドルフ1世が死去すると、息子のアルブレヒト1世とナッサウ家のアドルフ・
          フォン・ナッサウの間で皇位争いが勃発した。同時に、アルブレヒト1世と下エルザスの
          領主オットー・フォン・オクセンシュタインの間にも、エルザス地方の領有をめぐって争いが
          起きた。1293年、オットーはオルテンベルク城の眼前に対の城としてラームシュタイン城
          を築いて対峙した。最終的に、アルブレヒト1世が皇位争いに勝利し、城もハプスブルク家
          の手にとどまった。1314年、ハプスブルク家は城をストラスブールのミュレンハイム家に
          売却した。
           15世紀に入ると、オルテンブルク城は盗賊騎士の塒となっていたといわれる。1470年に
          ペーター・フォン・ハーゲンバッハが城を手に入れたが、1474年にはストラスブールが奪い
          返した。1551年、ニコラウス・フォン・ボルヴァイラーが城を購入し、実際に城に居住したと
          される。
           三十年戦争さなかの1633年、城はスウェーデン軍によって破壊された。そのまま廃城、
          廃墟となり現在に至っている。

       <手記>
           オルテンベルク城は、東にシャーヴィラーの町とエルザスの平原を、南にギーセン川の
          谷を望む峰の上に築かれた城です。南の谷筋にはセレスタとナンシーを結ぶ街道が走る
          交通の要衝にあります。
           遠目にも近目にも、完全に廃墟と化した城です。ただ、ところどころ廃墟の姿のまま修復
          されていて、日本との価値観の違いがうかがえます。
           城周辺からの眺望はたいへん素晴らしく、アルザスの平野を一望することができます。


           
 オルテンベルク城主塔。
一部修復された城壁。 
 城門跡(左手)。
城跡から南方を望む。 
中央の町はシャテノワ。 


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