小佐手氏館(おさでし)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 小佐手永信
 遺構  : なし
 交通  : JR中央本線勝沼ぶどう郷駅よりバス
       「小佐手」バス停下車   


       <沿革>
           武田氏庶流小佐手氏の居館址である。小佐手氏は、武田信重の子永信を祖とすると
          される。ただし、ぶどうの丘西麓の東林院の開基は小佐手信俊とされ、宝徳元年(1449)
          に没したとある。信重が同二年に60代の老境で死去(殺害)しているため、寺伝が正し
          ければ、信俊は永信の1代ほど前か同年代の人物と推測される。
           寺伝によれば、信俊の子孫は武田信虎によって滅ぼされたとされる。他方で、小佐手
          信家・信次兄弟が徳川幕府の旗本となっており、彼らは永信の曾孫信房の子を称して
          いる。信俊と永信の関係も含め、小佐手氏については不明な点が多い。


       <手記>
           小佐手は、勝沼のぶどう郷を一望に付す町営ぶどうの丘の西に広がる裾野一帯で、
          南は田草川、北は鬢櫛川に挟まれています。とはいえ、個人的にはかつてはそれほど
          生産性の見込める地域であったとは思えず、むしろ青梅街道や甲州街道、御坂峠など
          に通じる鎌倉往還を押さえることに意味があったのかな、感じます。
           現在、開発によって遺構はおろか館の範囲も判然としません。資料によってその位置
          は微妙に異なっており、それらを包括したエリアをなぞったのが上の地図の緑枠であり、
          これほど規模が大きかったわけではありません。ただし、現在の小佐手交差点付近を
          南端とすることでは、どの資料も一致しているようです。

            


小佐手交差点(小佐手氏館南辺付近)。


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