ピラン(Piran)
 別称  : なし
 分類  : 都城
 築城者: ローマ人
 交通  : トリエステ中央駅からバスに乗り、
      「Piran」下車徒歩5分
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           6世紀末にアヴァール人やスラヴ人が侵入するようになると、イストリア半島のローマ人は
          防御に適した地形への集住を余儀なくされた。ピランもその一つで、7世紀中に街の建設と
          要塞化が進められたとされる。航行上の要地でもあり、ピランはギリシャ語で火を意味する
          「ピュロス」が語源といわれる。
           788年、ピランはフランク王国に占領され、その後843年にはイタリア王国に、952年には
          神聖ローマ帝国領に組み入れられた。他方で、ヴェネツィアと同盟を結んで交易都市として
          一定の自治権を保持していたが、1283年に当のヴェネツィア共和国の支配下に入った。
          ヴェネツィアの統治のもと、ピランの湾口を囲うように新たな城壁が設けられた。
           15世紀後半に入ってオスマン・トルコ帝国の脅威が迫ると、市街を見下ろす背後の丘に
          3番目の城壁が構築された。ピラン半島全体を陸地から切り離すこの城壁には、計8本の
          防御塔が設けられたとされる。
           しかしながら、実際にピランがトルコの攻撃に晒されることはなかった。18世紀に入ると、
          ピランは近接するオーストリア帝国の港湾都市トリエステとの競争に敗れ、衰退の一途を
          辿った。維持費の問題から城壁の撤去も議論されたが、実行に移されることなく、今日に
          至っている。


       <手記>
           ピランはスロベニアの西端に位置する岬の街で、同国では3つしかない港湾都市の一つ
          です。鉄道はなく、自分はトリエステからFlixBusでポルトロシュへ向かい、路線バスに乗り
          換えて訪れました。
           ドゥブロブニクには及ばないのでしょうが、小さな岬の半島全体に白壁と赤屋根の家々が
          密集して建ち、アドリア海らしい美しい街並みが魅力です。最も新しい城壁が約300m残り、
          展望台を兼ねて保存・有料公開されています。城壁からはトップ画像のように街の全景が
          見渡せるため、歴史に興味がなくてもピランでは必訪の観光スポットといえます。
           城壁はとても薄く、ヨーロッパ体型の方々とはすれ違うのもたいへん困難です。この厚み
          では近世の砲撃戦には絶えられないでしょうから、15世紀に築かれて以降、改修される
          ことはなかったものと拝察されます。
           旧市街は細い路地の入り組むリゾートの街となっていて、丘の上の聖ジョージ教会周辺
          に城壁が見られますが、都城の遺構はほとんど残っていません。2番目の城壁の城門が
          市庁舎の一部となっているなど、後で知ったことには門跡がいくつかあったようですが、
          残念ながら見落としてしまいました。

           
 最も新しい城壁と防御塔。
同上。 
 防御塔の裏側。
公開されている城壁の出入口となっている城塔。 
 城壁上から南方の城塔を俯瞰。
城壁上のようす。 
 城壁の北端。
聖ジョージ教会。 
 教会脇の城壁。
教会の丘から最外郭の城壁を望む。 
 教会の丘から旧市街を俯瞰。
ピラン半島先端のようす。 
 旧市街の路地。
旧市街の中心のタルティーニ広場。 


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