力丸城(りきまる)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 力丸広宗
 遺構  : 堀跡
 交通  : 北関東自動車道前橋南ICより車で5分


       <沿革>
           貞治二/正平二十二(1367)に力丸広宗によって築かれたと伝わる。広宗は那波氏一族
          とされるが、詳しい系譜は不明である。
           力丸佐介宗也・伊賀守父子のときに天正十八年(1590)の小田原の役を迎え、戦後力丸
          氏は没落したとされる。

       <手記>
           力丸城は、力丸集落の中心部、善昌寺の東側一帯にあった城です。現在では土地改良と
          区画整理によって遺構はほとんど失われましたが、部分的に縄張図と符合する堀跡のような
          水路がみられます。
           公民館前の道路の突き当たりに石碑が建てられていますが、本丸南東隅の外側にあたる
          ため、ぎりぎり城外になるようです。他に、城跡を示すようなものはありません。
           力丸城は、力丸氏の館を中心に大きく東の字法楽寺と呼ばれる部分と、本丸北西の部分
          の3つの曲輪群を水路兼の堀で繋げたような構造になっています。力丸周辺の利根川左岸
          からは、周囲を堀で囲った環濠屋敷遺構が多数発見されています。力丸城は、こうした環濠
          屋敷のいくつかを連結した城とみられています。

           
 力丸城址碑。
本丸北側付近の堀跡と思しき溝。 
 字法楽寺西側の堀跡と思しき溝。


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