ライ
(Rye)
 別称  : ライ城
 分類  : 平山城
 築城者: 不明
 交通  : ライ駅下車
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           英仏海峡に望むライ周辺は、かつて広大で深い湾になっていて、北のテンターデン付近
          まで海が入りこんでいた。当時のライは三方を海水に囲まれた岬の突端に位置していて、
          ローマ時代から船の停泊地として利用されていたと考えられている。
           12世紀後半には五港同盟(シンク・ポーツ)の一員となり、イングランド王に軍船と乗員を
          提供する代わりに、海運における特権を与えられていた。そのため町に防備を施す必要が
          生じ、ライは漸次的に武装化された。現存するイプレス塔は、1249年に時のイングランド王
          ヘンリー3世の許可を得て建設されたものである。また1329年には、エドワード3世の資金
          援助のもと、町に4つの城門がつくられた。そのうちの1つが現存するランドゲートである。
           1287年、暴風雨によってライの北を東に流れてニューロムニーに向かっていたロザー川の
          河口がせき止められてしまい、流路がライ寄りに移っていった。1375年ごろまでにはライ
          市街の東側が削り取られてしまうほどになり、河口には砂泥が溜まって船が直接出入り
          することができなくなった。まもなくフランスの侵攻によって町は略奪・放火された。
           土砂によって大型船が着けなくなったライは衰退していったが、他方で18世紀まで小型
          船による羊毛の密貿易の中心地となっていた。1803年にはじまるナポレオン戦争では、
          ナポレオン軍侵攻時の予想上陸地点の1つとしてライが挙げられ、防衛拠点化の計画が
          進められた。しかし、長大なロイヤル・ミリタリー運河の建設が終わらないうちにナポレオン
          の脅威は去り、ライが攻められることもなかった。

       <手記>
           ライは中世の町並みを残す小さな観光地として知られています。港湾都市として栄えた
          ものの、地形の変動によって港が使えなくなったことで発展から取り残され、古い町並み
          が現在まで保存されることになりました。この経緯は、ベルギーの世界遺産ブルージュと
          似ています。
           城塞の遺構は、まず北東の旧市街入口に上述の城門がそびえています。2本の円塔を
          従えた豪壮な石門で、盛期のライの繁栄ぶりをうかがうには十分です。
           また旧市街の南東隅にはイプレス塔があります。今でこそ突端の詰曲輪のようになって
          いますが、旧市街の形状をみるとロザー川の流路変更と浸食によって削られる前はもっと
          市域が東に広がっていたものと考えられます。他方で、イプレス塔の下の大砲のレプリカ
          が並ぶ帯曲輪は、現在の地形に沿っているので13世紀末以降の増築と推測されます。
           イプレス塔には登ることができ、塔の屋上はおそらくライでもっとも眺望が開けています。
          塔内にはいろいろな資料が展示されていますが、最も目を引くものの1つが「ブレッズの
          絞首台(The Breads Gibbet)」でしょう。城の歴史とは直接関係ないのですが、拘束具に
          包まれて吊るされた骸骨はインパクトがあります。
           骸骨の主ジョン・ブレッズは18世紀前半に実在した人物で、宿も営む肉屋の主人でした。
          1737年、当時の市長ジェイムズ・ラムは、客を騙した罪でブレッズを罰金刑に処しました。
          その科料が基準より多額だったため、ブレッズはラムに恨みを抱きます。1743年のある夜、
          ラムはパーティーに招かれ、それを知ったブレッズは帰り道を襲おうと教会の陰に身を潜め
          ます。しかし、ラムは当日体調不良で欠席していました。夜道を背後から襲われ刺し殺され
          たのは、ラムではなく副市長で義弟のアレン・グレベル。恨みを晴らすことができたと思い
          込んだブレッズは、間もなく逮捕されます。裁判長を務めるラムの前に立ったブレッズは、
          「俺が殺したかったのはグレベルじゃない、お前だ。できることなら今すぐ殺してやりたい!」
          と叫びました。ブレッズは絞首刑に処され、死体は絞首台ごと門外に50年以上も晒された
          そうです。
           現在残っているのは頭蓋骨の一部だけで、その他の骨はリウマチの薬として持ち去られ
          てしまったとか。なので塔内にある骸骨はレプリカです。私はこれを読んだとき、話の筋と
          いうより肉屋(butcher)のブレッズ(Breads)がラム(Lamb/仔羊肉とスペルが同じ)を狙う
          という冗談のような組み合わせが気になってしまいました。
           物語の紹介が長くなってしまいました。イプレス塔の隣には、「婦人の塔」という小さめ
          の建物が付属しています。こちらは19世紀に女性用の牢屋として使われていたことから
          その名が付いたそうです。
           ライ市街には、城跡のほかにも撮影スポットのマーメイド通りや聖メアリー教会、15世紀
          創業というライで最も古いパブ「オールド・ベル」など、見どころがたくさんあります。イング
          ランド南東岸エリアを旅行するなら、ぜひ立ち寄るべき観光地といえるでしょう。

 イプレス塔。
塔の上からの眺め。 
 イプレス塔から婦人の塔と中庭を望む。
イプレス塔内にある「ブレッドの絞首台」。 
 婦人の塔を近くから。
旧市街北東の城門「ランドゲート」。 
 撮影スポットのマーメイド通り。
15世紀創業というパブ「オールド・ベル」。 


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