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城山城(きやま) |
別称 : なし | |
分類 : 山城 | |
築城者: 由良氏か | |
遺構 : 削平地 | |
交通 : JR高松駅または琴電高松築港駅から バスに乗り、「由良」下車徒歩15分 |
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<沿革> 史料にはみられない古代山城(神籠石)である。天智天皇二年(663)の白村江の戦い以降の 国際的緊張に際して築かれた朝鮮式山城の一つとみられ、同じ讃岐国内の屋嶋城に先行する とする説もある。 <手記> 城山城は、テーブルマウンテン状の広大な城山をめいっぱいに囲った古代山城です。頂部は 丸亀市と坂出市に跨っているものの、城域の大部分は後者に属しているため、ここでは坂出市 の項目としています。城山の標高は462mありますが、幸か不幸か城内にゴルフ場が建設されて いるため、車さえあれば山頂まで難なく上がれます。 とはいえとにかく城域が広いので、車でも何回か乗り降りして巡ることになるでしょう。個人的 には、まず南東端の明神原に駐車して明神原遺跡を訪ねるのがおすすめです。城山城は内郭 と外郭の2段で構成されており、明神原遺跡は内郭の東に突き出た峰先にある祭祀遺跡です。 烏帽子岩を中心とする磐座と、その前方に数段の石列をもつ細い削平地が並んでいます。防御 施設かどうかは微妙ですが、あるいは城山城の守護神として祀られていたのかもしれません。 明神原から道路を挟んだ反対側付近から、内郭内部への遊歩道が整備されており、上がって すぐのところにはホロソ石があります。城域には凹型のホロソ石、長方形のカガミ石、カガミ石の 中央に一直線の溝が入ったマナイタ石と呼ばれる加工石が、計13個確認されているそうです。 これらは組み合わせて城門の基礎としたものと考えられていますが、確証はありません。私が 見たのは9個ほどですが、いずれも城門や城壁とは離れたところに討ち捨てられるように散在 していました。加工途中の石材もあるということから、実際には使用されず何らかの理由で放棄 されたものと考えられています。 遊歩道をさらに進むと、城壁の痕跡とみられる低い石列が現れ、このあたりから道がはっきり しなくなり、赤テープを辿ることになります。その先に待っているのは、城山城で唯一残っている 城門跡の石塁です。かつてはマナイタ石もあったそうですが、大正時代に山麓の白峯宮に移さ れたと伝わり、今はゴルフ場の舗装路が通っています。さらに、ゴルフ場内には古代山城に付き ものの水門(水口)跡石塁もあります。 城門跡から赤テープに沿って下りると、道路に出る手前でホロソ石や鏡石が見られます。途中 には畝状竪堀と書かれた、たしかに爪で引っ掻いたような地形がありますが、この時代に畝状 竪堀があったとは思えません。また、遊歩道とはいえ道沿いにはちらほらロストボールが落ちて いたので、歩く際は頭上にもご注意ください^^; 内郭の南西端が城山の山頂で、ここまで車で入れて駐車場も完備されています。山頂一帯は 公園化されていて、展望台があるものの遺構らしきものは見当たりません。ただ、山頂から南西 にしばらく下りていくと、尾根を少し外れて立派なマナイタ石が一つ横たわっています。また山頂 から車で西に下る途中にも、内郭の石塁が残っています。 余裕があれば、城域北側の不動の滝もおすすめです。ここは水口を通って流れ出た水が沢と なって落ちるところで、私は冬に訪れたので水量はわずかでしたが、タイミングがよければさぞ 立派な滝だろうと思います。道路から滝へ向かう途中には外郭の土塁があり、沢を遡ると石材の 加工所跡とされる場所も見られます。私は城域内を彷徨っているうちに、沢を水門まで遡上して しまいました。 |
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城山城跡遠望。 この日はひどい春霞でした。 |
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城門跡。 | |
城門跡の石塁。 | |
城門下のホロソ石。 | |
同じくカガミ石。 | |
城門下の「畝状竪堀」。 この時代にあったとは思えませんが…。 |
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内郭の水口と石塁。 | |
同上。 | |
内郭の石塁。 | |
明神原上のホロソ石。 | |
明神原遺跡の磐座。 | |
明神原下の石列をもつ削平地群。 | |
明神原下の「古代山城車道」。 | |
城山山頂のようす。 | |
山頂南西下のマナイタ石。 | |
山頂北西下の内郭石塁。 | |
不動の滝。 | |
不動の滝へ向かう途中の外郭土塁。 | |
滝上からの眺望。 | |
不動の滝上の沢。 | |
沢筋の石材加工場跡とされる箇所。 | |
沢筋近くの土塁跡。 |