田中城(たなか)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 三木高長か
 遺構  : なし
 交通  : 琴電長尾線農学部前駅から車で10分


       <沿革>
           南北朝時代に、三木紀伊守高長が城主であったと伝わる。三木氏は讃岐国造の後裔で、
          讃岐永成の子元重にはじまるとされる。ただし、高長は戦国時代初期の人物で、田中城主
          だったのは三木紀伊守信直とする説もある。
           『日本城郭大系』によれば、三木氏は南北朝時代にかなりの勢力を有していたが、長禄
          年間(1457〜60)に領地を安富盛方に没収されて衰退したとされる。しかし、盛方は16世紀
          の人物であり、記述の内容には疑念が残る。


       <手記>
           田中雷八幡神社の北東麓、上の地図に示した地点の民家脇に、「田中城跡」の石碑が
          建っています。『大系』によれば、かつては民家の西側に堀跡が、東側に井戸跡があった
          そうですが、どちらも失われているようです。周囲は一面の水田耕作地で、遺構らしきもの
          は見当たりません。北西には墓地となっている小さな丘があり、『大系』ではその裾野付近
          が城の西端と推測しています。
           城砦を設けるなら、この墓地ないし雷八幡神社の丘を利用すればよいところ、なぜこんな
          真っ平らな場所に築いたのか、大いに謎です。おそらくは、つとめて居住および経営を目的
          とする館城だったのでしょう。ちなみに、石碑には建立者と思われる「川北」さんの名前と、
          「末裔」の肩書きが彫られていますが、三木氏の末裔という意味なのかどうか、詳細は定か
          でありません。

           
 田中城址碑。
西側から田中城跡付近を俯瞰。 


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