ザルガンス城
(Schloss Sargans)
 別称  : なし
 分類  : 平山城(Höhenburg)
 築城者: モーントフォルト伯フーゴー1世
 交通  : ザルガンス駅から徒歩15分
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           1200年ごろ、モーントフォルト伯フーゴー1世によって築かれたとみられている。しかし、
          建築史上の調査からはそれ以前に石造の建物が既にあったと考えられており、フーゴー
          1世の父テュービンゲン宮中伯フーゴー2世や、その妻の実家であるブレーゲンツ伯家の
          前身となる城砦が存在していたとする説もある。
           フーゴー1世の子ルドルフ1世とフーゴー2世の兄弟は所領を分割し、ライン左岸地域を
          獲得した前者がヴェルデンベルク城を居城としてヴェルデンベルク家を興した。ルドルフの
          妻クレメンティアはザルガンス伯夫人を称しており、ザルガンス城に居住した可能性が
          考えられる。2人の子であるハルトマンとフーゴーの兄弟は、さらにヴェルデンベルク=
          ザルガンス家とヴェルデンベルク=ハイリゲンベルク家に分かれた。ヴェルデンベルク=
          ザルガンス伯ハルトマン1世となったハルトマンは、ザルガンス城を居城として拡張したと
          みられる。
           ハルトマン1世の子ルドルフ2世の代にヴェルデンベルク=ザルガンス家は所領を大きく
          拡大させたが、彼の子らは1342年に遺領を分割相続し、ルドルフ4世がザルガンス城を
          取得してヴェルデンベルク=ザルガンス=ファーツ家を興した。ルドルフ4世の子ヨハン1世
          はヴェルデンベルク=ハイリゲンベルク家との戦争に突入し、相次ぐ所領分割と同族間の
          争いで財政的に困窮していった。これに付け込んだのがオーストリア公ハプスブルク家
          で、ヨハン1世は1396年にザルガンスの城と街をオーストリア公レオポルト4世に抵当へ
          差し出さざるを得なかった。
           1405年、アッペンツェル戦争に際してザルガンス城は「越湖同盟(Bund ob dem See)」
          軍に包囲された。陥落は免れたものの、城下町が徹底的に破壊されたとされる。戦後の
          1406年、ハプスブルク家はザルガンスをトッゲンブルク伯フリードリヒ7世の抵当に入れた
          が、フリードリヒ7世が1436年に没すると、ハプスブルク家からヨハン1世の子ハインリヒ
          2世に譲渡され、ヴェルデンベルク=ザルガンス=ファーツ家は旧領に復することができた。
           古チューリッヒ戦争中の1445年と1446年、ザルガンス城は2度にわたってスイス盟約
          同盟軍に包囲された。またも陥落は免れたものの、城内は荒廃が進んでいったようで、
          1459年には宮殿の一部が崩落するなどしている。1483年、ゲオルク2世はザルガンス
          伯領をスイス連邦に売却し、帝国アハト刑に処されて1504年に死去した。これにより、
          ヴェルデンベルク=ザルガンス伯家は断絶した。
           ザルガンス城はスイス連邦の行政府として、城(Burg)から宮殿(Schloss)へと改修
          された。1798年にフランスの影響下でヘルヴェティア共和国が建国されるまで、2年交代
          で延べ181人の執政官が派遣されている。
           1811年にザルガンスの町が大火に見舞われると、城は学校として利用され、1834年に
          競売にかけられた。購入者のヨハン・ゲオルク・フォン・トッゲンブルクはフランスから叙爵
          を受けた人物で、以後トッゲンブルク=ザルガンス伯を称している。しかし、ザルガンス伯
          についてはあくまで自称であり、かつてこの地域に影響力を有していたトッゲンブルク伯
          とも無関係である。
           ヨハン・ゲオルクの目的は歴史あるトッゲンブルク家とザルガンス家の名跡を継承した
          と喧伝することにあったとみられ、城館自体には関心を示さず、ザルガンス城はそのまま
          放置された。1860年までには城の「後館(Hinteres Schloss)」が取り壊され、1899年に
          ザルガンス市が荒廃した城館を購入した。翌年から大規模な修復が実施され、博物館
          およびレストランとして今日まで運営されている。


      <手記>
           ザルガンスはリヒテンシュタイン公国の南西端に接する小都市で、今でもリューリッヒ、
          クール、ボーデン湖の3方面への鉄道や高速道路が交わる要地です。ザルガンス城は
          舌状に突き出た峰の上に築かれており、背後には「山」の字の形をしたゴンツェン山が
          高々と聳えています。ザルガンス駅から徒歩15分くらいなのですが、荷物を駅のコイン
          ロッカーに預けたところキャッシュレスのロッカーの使い方が分からず、閉めた扉を一度
          開ける羽目に。スイスは物価が高いことで有名ですが、円安が追い打ちをかけて料金が
          1000円を超えており、逡巡した挙句バックパックの全荷物を背負って城山を登ることに
          しました^^;
           上述のとおり、ザルガンス城は放置・改築・修復を繰り返しており、主塔や宮殿の建物
          にはツギハギが目につきます。中庭(ブルクホーフ)までは無料で入れますが、建物内は
          有料です。重い荷物を背負っているうえにそこそこのお値段なので、こちらも遠慮せざる
          を得ませんでした。取り壊された後館跡にはレプリカの大砲が置かれ、ライン川沿いの
          眺望が開けています。
           ヴェルデンベルク=ザルガンス家の栄光と凋落の舞台として、荷物を気にせずもう少し
          ゆっくりと見学したかったなぁと、いささか心残りの訪城となりました。

           
 グーテンベルク城からザルガンス城を望む。
ザルガンスの町から望む。 
 ザルガンス城とゴンツェン山
北東中腹の登城路から見上げる。 
 大手一の門。
大手一の門とゴンツェン山。 
 環状城壁。
大手二の門内部。 
 ブルクホーフのようす。
ブルクホーフから主塔を見上げる。 
 ブルクホーフから後館跡を望む。
後館跡と大砲のレプリカ。 
 後館跡からの眺望。
城山からチューリッヒ方面の眺望。 


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