仁位山城(にいやま)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 羽柴秀吉か
 遺構  : 曲輪、堀、土塁
 交通  : JR姫新線佐用駅徒歩40分


       <沿革>
           天正五〜六年(1577〜78)にかけて4回行われた上月城攻防戦における、毛利方ないし
          織田家臣・羽柴秀吉の陣城とみられている。元禄年間(1688〜1704)に成立した『赤松家
          播美作城記』によれば、安藤信濃守が800騎で仁位山城に在陣していたとされる。ただし、
          安藤信濃守の名は他の史料にみられず、真偽は不明である。


       <手記>
           上月城の真向かいにある標高233mの山が仁位山城跡です。かつてはテレビ塔が建って
          いたらしく、南東麓から車道が延びています。麓の入口にはゲートが付いていたので、私は
          車を置いて歩いて登ったのですが、山頂には駐車スペースもあり道もしっかりと舗装されて
          いて、ゲートの開閉さえちゃんとすれば車で楽に訪城できたようです。
           一番の見どころは、なんといっても道路の両側に続く無数の畝状竪堀でしょう。言い換え
          れば道路によって寸断されているわけですが、それでもそれ以外の部分はほとんど完存と
          いっても差支えのない規模で残っています。
           仁位山城はテレビ塔のあった先端のピークと主峰、そして東側の稜線部の大きく3か所の
          エリアから成り立っています。テレビ塔跡は物見曲輪だったと思われ、今も眼下に上月城を
          俯瞰できます。先端側の尾根を少し下ると堀切がありますが、深さはありません。
           主峰は城内最高所にも関わらずとくに曲輪形成されている様子はなく、わずかに段築の
          ような地形が認められる程度です。東峰には部分的に土塁や削平地がみられ、北西と北東
          の尾根筋には堀切跡が見受けられますが、やはり本気で断ち切っているという風には感じ
          られません。
           全体的に曲輪形成が曖昧なのは、つとめて上月城攻め二のみ使用された陣城だったから
          でしょう。そして、畝状竪堀が城域の南側斜面にしか見られないのは、少なくとも最終的な
          改修者が毛利氏だったことを示しているのではないかと考えています。
           それにしても、普通ならテレビ塔が撤去されて後は荒れ果ててしまいそうなところ、地元の
          方々の尽力でここまで整備されているというのは有難い限りです。

 上月城から仁位山城跡を望む。
南東麓のゲート。 
開けて車で山頂まで行けるようです。 
 道路沿いの畝状竪堀。
同じく道路から畝状竪堀を見下ろす。 
 先端ピーク方面を望む。
先端ピークのテレビ塔跡。 
物見曲輪か。 
 先端ピークから上月城跡を俯瞰。
先端下の堀切。 
 同上。
主峰頂部のようす。 
 主砲斜面の段築状地形。
主峰東側斜面のようす。 
 溜池跡。
東峰の土塁。 
 東峰の削平地。
東峰北西尾根の堀切跡。 
 東峰東端の削平地。
東峰東端下の腰曲輪。 
 腰曲輪下の堀切ないし曲輪跡。
東峰南下の横堀。 
 同上。
横堀から畝状竪堀を見下ろす。 
 同上。
同上。 


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