椎本城(しいのもと)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 坂東紀伊守か
 遺構  : 不詳
 交通  : JR徳島駅からバスに乗り、
      「羅漢」下車徒歩25分


       <沿革>
           板西城主赤沢宗伝の一族・坂東紀伊守の居城とされる。紀伊守は天正十年(1582)の
          中富川の戦いで宗伝らとともに討ち死にしたといわれ、これにより椎本城も廃城となった
          とみられるが、確証はない。


       <手記>
           椎本城は、元亀元年(1570)に建立されたと伝わる坂東氏の菩提寺・昌光寺の北側に
          あったとされています。『日本城郭大系』には、田の中に城のものと言い伝えられる石が
          残っているとあるものの、それらしきものは見当たりませんでした。
           昌光寺には坂東紀伊守一族の墓があり、比定地の田んぼにも前出の城の石との関連
          は不明ですが、坂東氏の墓石群がありました。昌光寺自体が、周囲より一段高い方形の
          区画となっており、あるいは城の外郭の一端を成していた可能性も高いと思われます。

           
 比定地現況。
昌光寺。 
 坂東紀伊守一族の墓所。
外から見た昌光寺。 
周囲より一段高くなっています。 
 比定地田中の坂東家の墓石群。


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