塩飽勤番所(しわく)
 別称  : なし
 分類  : 代官所
 築城者: 江戸幕府
 遺構  : 屋敷、門
 交通  : 本島港から徒歩10分


       <沿革>
           江戸時代の塩飽諸島は、人名(にんみょう)と呼ばれる650人の船方と4人の年寄による自治
          が営まれていた。年寄は戦国時代に船大将を務めた有力な家系であったが、それぞれの居宅
          で公務が執られたこともあり、時代が下ると専横化や硬直化など弊害が生じるようになった。
           これに対し、幕府人名の訴えを受けて、寛政九年(1797)に公の代官所として塩飽勤番所が
          開設された。さらに年寄も、人名の入札(選挙)によって選ばれるよう改革され、廻船網の発達
          などにより新興勢力も台頭していたこともあり、年寄の権限も縮小されていったようである。
           勤番所には天保十二年(1841)に長屋門が新造され、万延元年(1860)には主屋の改築が
          施された。明治維新後も村役場などに利用され、今日に至っている。


       <手記>
           塩飽勤番所は国の史跡に指定されており、塩飽本島を代表する観光スポットの1つとなって
          います。島特有の自治を守ってきた政庁として、明治維新後も村役場として長く使用されてきた
          というのも、塩飽諸島の歴史を雄弁に語っているように感じられます。
           建物自体は江戸時代後期に造営されたものなので、基本的には長屋門付の立派な御屋敷
          といったところです。玄関脇にお白洲があったり、建設当時すでに不要であった御朱印の蔵が
          設けられていたりといったところに、代官所としての権威付けがみられます。

           
 長屋門。
同上。 
 本館。
御朱印庫。 
 お白洲。


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