シュトルツェンエック城
( Burg Stolzeneck )
 別称  : なし
 分類  : 山城(Höhenburg)
 築城者: 神聖ローマ皇帝か
 交通  : リンダッハ駅徒歩20分(途中渡し船経由)
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           1200年代初頭にホーエンシュタウフェン朝の城として築かれたと考えられている。1284年に
          ライン宮中伯ルートヴィヒ2世がシュトルツェンエック城を譲り受けたとするのが、史料上の初出
          である。
           この城に付随する利権や領地はわずかであったため、その後は小領主の間を転々とした。
          1504年のランツフート継承戦争で損傷したものとみられ、1509年にはプファルツ選帝侯(かつて
          のライン宮中伯)より「再築」が指示されている。
           1610年に城主家であったフラウエンベルク家が断絶すると、城は再び選帝侯の直轄となった。
          このころには、城はかなり老朽化しており、また麓のクレッセルバッハの集落も疫病や貧困に
          より、わずか1世帯を残すのみとなっていた。シュトルツェンエック城はほどなく廃城となり、、
          クレッセルバッハの最後の1家族も、東側にあるツヴィンゲンベルクへ移住することになった。

       <手記>
           シュトルツェンエック城は、ネッカー川が渓谷のように狭まったところに突き出した峰の先端
          付近にあります。麓はネッカー沿いのサイクリングロードとなっており、ここから「城(Burg)」と
          だけ書かれた看板を頼りに山を登って辿りつきます。公共交通機関を利用するならリンダッハ
          駅が直線距離では最寄となるのですが、対岸のクレッセルバッハへは渡し船に乗らなければ
          ならないようです。ただ地図上では渡し船があるように書いてあるのですが、本当にあるのか
          どうかは定かではありません。
           城は主副2つの曲輪からなっています。主郭に大きく分けて2つの建物跡が残っており、この
          うち西の主塔が1275年、東の壁のみが残る居館跡が1350年に築かれたものだそうです。また
          副郭は、1509年の再建時に増築された部分だそうです。副郭には建物はありませんが、井戸
          跡と虎口跡が残っています。そのほかに、峰続きの城の裏手を断ち切る堀が残っています。
           シュトルツェンエック城はあまりに山深いところにあるため、当初より経営上の利点はほとんど
          ないといっても過言ではなかったようです。城下集落といえるクレッセルバッハは、川と山肌の
          間に家屋を直列させるのがやっとだったろうといった感じで、前述のとおり最終的には放棄され
          てしまいました。シュトルツェンエック(「誇りの峰」の意味)という立派な名前とは程遠い運命を
          たどった城といえます。
           城跡自体は周辺住民の隠れた憩いの場となっているようで、カップルや子供連れの姿がチラ
          ホラと見受けられました。ちなみに、クレッセルバッハの集落跡には、今では長屋風の大きな
          建物が建っていて、内部はアパートメントホテルと陶器工房となっているようです。
 
  
 主郭の建物廃墟。左手が主塔、右手が居館跡。
副郭の虎口跡。 
 主郭背後の堀切。
副郭のようす。画面中央に井戸跡があります。 
 副郭から主郭を望む。


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