諏訪の木城(すわのき) | |
別称 : 羽場城、荒巻城 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 関義範 | |
遺構 : 土塁、堀、虎口跡 | |
交通 : JR上越線後閑駅また上越新幹線上毛高原駅よりバス 「下新田」バス停下車徒歩10分 |
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<沿革> 関義範によって築かれたと伝えられるが、その時期やいかなる人物であるかなど 詳細は不明である。 『加沢記』によれば、天正九年(1581)に真田昌幸が塩原源太左衛門を城将として 置いたとされる。同十七年(1589)には豊臣秀吉の裁定により北条氏の領有となり、 望月主計と塩原清左衛門が城主となったとされる。 その後は不明だが、翌天正十八年(1590)の小田原の役で北条氏が滅亡すると、 廃城となったものと推測される。 <手記> 諏訪の木城は、赤谷川とその支流に三方を囲まれた細長い舌状台地に築かれた 城です。現在、城内は畑地となっていますが、大部分は休耕地のようです。 旧縄張り図によると、本丸は南西隅に置かれ、その周囲は石積みが施された空堀 が巡っていたそうです。かなり貴重な遺構と思われますが、たいへん残念なことに、 当該の堀はほぼ埋められてしまっているようです。本丸と思しき箇所はわりと新しい 畑地となっており、サイドに堀の名残と思われる切れ込みがみられる程度です。 その先(東側)は、断続的に土塁が残っていますが、縄張り図を見ても現地を見ても、 あまりはっきりとは曲輪分けされていなかったようです。中ほどの南側斜面に竪堀と 思しき遺構がみられ、おそらくかつては北に堀が続いていて、城内を東西に分かって いたものと推測されます。 先端北東隅付近には、僅かながら虎口跡と思われれう箇所があり、九十九折れの 獣道が麓へと続いています。 城の南麓には、国道に面して「塩原太助公園」なる物産公園があります。私は知ら ない人物だったのですが、塩原太助は江戸時代中期に丁稚から豪商にまで出世し、 後に噺や歌舞伎の題材としてしばしば取り上げられたのだそうです。諏訪の木城の 城主にも塩原姓が2人見受けられますが、この塩原太助との関係があるのかは定か ではありません。 |
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(おそらく)本丸の堀跡の痕跡。 | |
(おそらく)本丸跡のようす。 | |
城内の残る土塁。 | |
同上。 | |
同上。 | |
城内中ほどのようす。 | |
城内中ほどに残る竪堀。 | |
北東隅付近の虎口跡。 |