田村城(たむら) | |
別称 : 上田村城 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 細川頼益 | |
遺構 : 土塁、堀跡 | |
交通 : 高知空港より車で5分 | |
<沿革> 土佐守護細川頼之の守護代として派遣された一族の細川頼益は、田村荘に康暦二年(1380)ごろ 居館を築いた。以後、田村城は土佐守護代細川氏の居城となった。 4代勝益の代に応仁の乱が勃発し、勝益は東軍について戦ったが、次第に在地領主の台頭が目立 つようになった。文亀元年(1501)、勝益は田村城の南西に初代頼益追善のために桂昌寺を建立し、 土佐守護代細川氏の権威を保とうとした(桂昌寺は、後に徳川綱吉の母桂昌院と字が重なるのを憚り、 細勝寺と改称した)。 永正四年(1507)に細川本家の政元が暗殺されると、土佐守護代細川政益とその子国益は京都へ 退去した。これにより、田村城も廃されたものと思われる。 <手記> 田村城は、香長平野のへそにあたる場所に築かれています。土佐随一の穀倉地帯の中心にあった ということからも、土佐守護代細川氏の権威がうかがわれます。広さは約5ヘクタールにおよび、三重 の堀に囲まれた規模の大きい土居城(館城)であったようです。 現在は、土塁の一部が城八幡とその参道として残り、また西側の堀の跡が小川となっています。 高知空港の拡張に伴って細勝寺は移転しましたが、その跡地に「田村城址および細勝寺跡」の石碑 と案内が設けられています。幹線沿いの公民館入り口にも碑がありますが、こちらは少々くたびれて いて読み取りづらいです。 |
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田村城址および細勝寺跡石碑。 | |
土塁上に建つ城八幡社と参道。 |