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田内城(たうち) |
別称 : 巌城 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 山名時氏 | |
遺構 : 曲輪、土塁、堀跡 | |
交通 : JR山陰本線倉吉駅からバスに乗り、 「総合事務所前」下車徒歩15分 |
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<沿革> 興国(1340〜46)の初めごろに、伯耆守護・山名時氏によって築かれたとされる。時氏の 嫡男・師義は打吹城を築いて守護所を移転し、田内城は廃城となったといわれる。ただし、 現存する遺構は戦国時代のものとみられている。 <手記> 天神川と小鴨川の合流点に突き出た小丘が、田内城跡です。南麓の道路沿いに標柱が 建っていて、主郭まで登り道が付いています。主郭には模擬の二重櫓が上げられています が、外壁が剥がれ落ちるほどに朽ちており、入口も塞がれていました。 先人のサイトを見ると、二の郭や三の郭の標柱があったようですが、こちらも朽ち果てて しまったのか見当たりませんでした。主郭の北には腰曲輪が3つ続いていて、このうち2つ が二の郭および三の郭の標柱があった曲輪と思われます。その下はおそらく後世の土橋 で埋まっているとみられる堀切跡を隔てて、やや広い空間に出ます。ただ藪化が進行して いて、土塁や堀跡と思しき地形は見受けられるものの、広範な構造を把握するのは困難な 状況でした。 ちなみに、田内城を訪れたあたりで確信したのですが、山陰の人たちは模擬櫓が大好き ですよね!? |
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打吹山から田内城跡を望む。 | |
南麓から見上げる。 | |
登城口の標識。 | |
主郭の模擬櫓。 | |
朽ちて外壁が剥がれています…。 | |
主郭のようす。 | |
二の郭か。 | |
二の郭下の腰曲輪か。 | |
三の郭か。 | |
三の郭切岸を見上げる。 | |
三の郭下の堀切跡か。 | |
堀跡か。 | |
同上。 | |
土塁か。 |