天白砦(てんぱく)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 小尾能登守か
 遺構  : 堀跡か
 交通  : JR中央本線長坂駅徒歩25分


       <沿革>
           『北巨摩郡誌』に、「字小尾平にあり、小尾能登守の居城にして、天正年間小尾の府の口止
          番所より此地によりしなりと」とある。小尾氏について詳細は明らかでないが、同じ北杜市の
          北東、塩川の源流域に小尾の地名があり、ここに端を発する一族である可能性が高いと思わ
          れる。塩川沿いには、古来甲州と信州を結ぶ重要な街道である穂坂路が通っており、小尾の
          北端には甲信国境を成す信州峠がある。「小尾の府の口止番所」については、信州峠ないし
          穂坂路に関連する関所であった可能性も考えられるが、推測の域を出ない。
           以上の推測が成り立つと仮定すると、天正年間(1573〜92)に小尾氏が本貫地を離れて
          この地に移住することになり得る状況として、天正十年(1582)の武田氏滅亡および天正壬午
          の乱が考えられる。とくに天正壬午の乱においては、塩川上流は徳川氏と北条氏の最前線と
          なっており、戦後処理の過程で小尾氏が天白砦のある柿平への移転を余儀なくされたとして
          も不思議ではない。


       <手記>
           大深沢川に深く削られた河岸沿いに細長く伸びる尾根上に、天白砦があったとされています。
          現在は、水田開発や側道建設、さらにはソーラーパネルの設置などによって地形は大きく改変
          されており、遺構や城域の確認は困難です。
           尾根の付け根付近には墓地があり、その墓地のさらに付け根側には堀跡に見える溝状地形
          があります。とくに、今に残る小尾氏累代の墓の脇の横一文字方向の堀は、最後尾を切断する
          堀切跡のように見えなくもない感じです。
           天白砦の尾根は細長いうえに集落の外れに位置しており、ここに居館を構えて柿平一帯の
          経営を行っていたとすると、ちょっと合理的ではないように感じます。また、砦脇の道はそこまで
          重要な街道ともみえないので、ここを堅固に守備しなければならない理由もないように感じられ
          ます。
           そう思って周囲を見渡してみると、耕作地帯を見下ろす集落中心部の台地角に、諏訪神社が
          鎮座しています。境内周囲にはちょっとした土塁や切岸地形も認められ、ここに居館を設けるの
          が、もっとも好適であるように直感的には思いました。


           
 天白砦跡を望む。
墓地背後の堀状地形。堀切跡か。 
 同じく堀状の溝。
 こちらは墓地開発にともなうものか。
砦跡周辺から諏訪神社を望む。 
 諏訪神社境内の土塁状地形。


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