土佐泊城(とさどまり)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 森元村
 遺構  : 不詳
 交通  : JR鳴門線鳴門駅よりバス
       「東小学校前」バス停下車徒歩10分


       <沿革>
           阿波国名東郡黒田村の佐田館主森元村が、天文年間(1532〜55)に板野郡
          土佐泊に移り、城を築いたのが始まりとされる。土佐泊自体は、畿内から土佐へ
          向かう船が立ち寄ったことにちなむ古い港で、平安時代の『土佐日記』にも登場
          する。元村の父佐田九郎左衛門は因幡国の出身で、細川氏に仕えて阿波へと
          移住した。土佐泊城は古城と新城の2つからなるが、いつごろ拡張されたのかは
          定かでない。
           天正十年(1582)に阿波は土佐の長宗我部元親に制圧されたが、元村・村春
          父子は抵抗を続け、同十三年(1585)の羽柴(豊臣)秀吉の四国攻めまで持ち
          こたえた。
           戦後、阿波一国は蜂須賀家政に与えられ、森父子もその配下となった。森氏
          は椿泊(現阿南市)に移され、土佐泊城は廃城となったものと考えられる。


       <手記>
           土佐泊は鳴門大橋のかかる大毛島の南端に位置しています。城は半独立丘
          の上にあるのですが、そこへ至る唯一の道は東麓の南海病院の敷地となって
          いて、関係者以外立ち入り禁止となっています。諸サイト様を参照してもやはり
          部外者は入れてもらえないようでした。西麓の集落先端まで回ってみたのです
          が、こちらにも道はなく、登頂は断念しました。
           北東麓の潮明寺境内には、紀貫之の古い歌碑などがあり、「紀貫之の遺跡」
          として鳴門市の史跡に指定されています。その解説版に土佐泊城についても
          比較的詳しく説明が載っています。曰く、土佐泊城は古城と新城の2つからなり、
          新城が標高80.4m、古城の方が51.2mだそうです。これを地図に当てはめると、
          当初の土佐泊城は独立山北西に伸びる尾根先を利用した小城であったことに
          なります。たしかに、土佐泊の港自体はこの古城の直下にあるので、港の監視
          だけならこちらの方が都合がよかったのでしょう。

 岡崎海岸から対岸の土佐泊城を望む。
北東麓の潮音寺の紀貫之歌碑。 
この説明板に土佐泊城について書かれています。 


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