蓮池城(はすいけ)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 蓮池家綱
 遺構  : 曲輪跡、土塁
 交通  : JR土讃線伊野駅よりバス
       「蓮池公園前」バス停下車


       <沿革>
           嘉応二年(1170)、平家の家人蓮池権守家綱によって築かれたと伝えられる。家綱の
          出自は詳らかでないが、現地説明板では近藤氏としている。
           治承四年(1180)に源頼朝が挙兵すると、土佐に配流されていた弟の源希義は平家
          の追討を受け、同年ないし寿永元年(1182)に家綱や平田俊遠らに討たれた。しかし、
          同年(寿永元年)に土佐の土豪夜須行宗に手引きされた源有綱が上陸すると、家綱ら
          は敗れて討ち取られた。
           建久三年(1192)、頼朝によって土佐国に地頭が配され、『八幡荘伝承記』によれば、
          蓮池城には藤原国信が入り、大平氏を称したとされる。他方、『見聞諸家紋』には大平
          氏は近藤国平の末とある。国平は頼朝に従って武功を挙げた人物だが、土佐に所領を
          得ていたかどうかは定かでない。また国信を国平の子とする向きもあるが、確証はない。
          近藤氏は藤原秀郷流であることから、一般には大平氏も藤太流とされている。
           その後大平氏は蓮池城を拠点に徐々に勢力を広げ、戦国時代前期には「土佐七雄」
          の1つに数えられるほどに成長した。応仁元年(1467)に応仁の乱が勃発すると、関白
          一条教房が戦乱を避けて自領の土佐国幡多荘へ下向した。教房室の縁者に「大平之
          女房」なる女性がいたことから、大平氏は教房を援助し、蓮池城に10日ほど滞在させた
          とされる。
           しかし、幡多荘に根付いて国司大名となった土佐一条氏は、次第に東への勢力拡大
          を図るようになった。天文十五年(1546)、蓮池城は教房の曽孫房基によって攻め落と
          され、大平氏は滅亡した。
           弘治元〜三年(1555〜57)ごろ、蓮池城は本山氏に奪取された。しかし、永禄三年
          (1560)の長浜戸の本の戦いで本山氏が長宗我部氏に大敗すると、機を見て一条氏
          が蓮池城を奪回した。
           永禄十二年(1569)十一月六日、長宗我部元親の弟吉良親貞が蓮池城を夜襲し、
          これを奪った。このとき親貞は、事前に城番の平尾新十郎や土居治郎、仲弥藤次など
          を篭絡し、謀反を起こさせたとされる。親貞がそのまま城将を務めたが、天正四年(15
          76)に没したため、跡を子の親実が継いだ。
           天正十四年(1587)に元親の嫡男信親が戸次川の戦いで討ち死にすると、次弟親和
          を後継に推す親実や一族の比江山親興と、元親の四男盛親を推す重臣久武親直との
          間で対立が生じた。元親自身が当初から盛親を溺愛していたため、不興を買った親実
          と親興は、同十六年(1588)に切腹を命じられた。ただし近年では、親実については
          翌十七年(1589)まで生存が確認できるとする説が有力となっている。いずれにせよ、
          親実の死をもって、蓮池城は廃城となったとされる。


       <手記>
           蓮池城は、波介川と仁淀川の氾濫原にぽこんと浮かぶ独立丘に築かれた城です。
          要害性には乏しいものの、周辺平野部からはとてもよく目立ちます。
           現在城跡は蓮池公園として整備されています。主郭跡には城址碑や説明板のほか、
          櫓台状の土塁に小さなお社が祀られています。鞍部を挟んだもう1つの頂部が副郭と
          思われ、ここにはなぜかトーテムポールが1本立っています。この副郭の先端部付近
          は城内でもっとも美しく切り立った切岸があり、その下はおそらく犬走り状の帯曲輪に
          なっていたものと思われます。
           ほかにも園内には曲輪跡と思しき削平地があちこちにあるのですが、花壇になって
          いたり遊具が設置されていたりと、どこまで遺構なのか判断しにくいところもあります。
          一見したところ堀が見当たらないのも特徴で、当時周辺は低湿地や深田になっていた
          と推測され、これらを要害とみていたものと考えられます。

           
 蓮池城址遠望。
主郭の城址碑。 
 主郭のようす。
主郭の櫓台状土塁とお社。 
 主郭からの眺望。
主郭背後の土塁と帯曲輪跡。 
 主郭から副郭を望む。
副郭の切岸。 
 副郭先端部のようす。
副郭から北側ひとつ下段の曲輪跡を望む。 
 副郭北下段の曲輪の切岸を望む。


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