御前城(ごぜん)
 別称  : 馬場城、増渕城
 分類  : 平城
 築城者: 氏家公頼か
 遺構  : 土塁
 交通  : JR東北本線氏家駅徒歩10分


       <沿革>
           氏家氏初代とされる氏家公頼によって、平安時代末期から鎌倉時代初期のころに
          築かれたとされるが、確証はない。公頼は一般に宇都宮朝綱の子とされるが、橘氏
          や小山氏の出とする説もある。また宇都宮氏出身説でも、直接分家したとする説と、
          益子氏らと同じ紀党の氏家氏がすでにあり、その4代目の氏家公広の養子となった
          とする説があり、判然としない。
           氏家氏はその後、南北朝時代に入って美濃国や東北へ移った一族が繁栄したが、
          下野国に残った系統はまもなく氏家綱元の代に絶えたとされる。その後は城主が
          頻繁に変わったといわれるが、詳しい動向は不明である。『那須記』には、戦国時代
          末期の宇都宮国綱のころに、「氏家馬場城主舟生右茂四郎」がいたとある。
           遅くとも、慶長二年(1597)に国綱が豊臣秀吉によって改易されるまでには廃城と
          なったものとみられているが、その経緯も定かでない。


       <手記>
           氏家小学校が城跡で、校舎脇の北東隅に土塁の一部が残されています。土塁や
          校庭に沿って流れる水路も堀跡の名残と思われますが、城跡らしさを感じさせるの
          は、やはりこちらの土塁くらいです。
           要害性があるとはいえず、在地領主の居館を拡張した程度の城だったと思われ
          ます。それでも城が戦国時代まで存続したのは、氏家が今も奥州街道の走る交通
          の要衝だったのと、対那須氏の前線に近かったことがあろうかと推察されます。
           ちなみに、土塁を見学するには学校の敷地に入らなければなりません。私は休日
          を狙って行ったので問題ありませんでしたが、開校日だと注意が必要となるかも
          しれません。土塁から水路を挟んだ東側には、立派な佇まいの仙禽酒造があります
          が、逆にこちらがお休みのようで、残念ながら蔵元にはお邪魔できませんでした。

           
 土塁。
土塁下の説明板。 
 御前城址の氏家小学校。


BACK