愛宕城(あたご)
 別称  : 碓氷城、愛宕山砦、愛宕山城
 分類  : 山城
 築城者: 武田氏か
 遺構  : 堀、土塁、土橋、虎口
 交通  : JR信越本線横川駅徒歩40分


       <沿革>
           武田氏によって築かれたと考えられているが、一次史料にはみられない。『甲陽軍鑑』には、
          天文十六年(1547)十月二十一日に「笛吹(碓氷)峠」に駐留させていた浅利・小宮山の両氏
          が「松枝(松井田)衆」に攻められ、これを撃退したと記されている。このとき両氏が駐留して
          いたのが、愛宕城ではないかとも推測されているが、確証はない。愛宕城が武田氏によって
          築かれ、このときすでに存在していたとすれば、同氏にそれが可能な期間は、武田晴信軍が
          関東管領上杉憲政軍を小田井原の戦いに破った同年八月六日以降約3か月半の間に絞られ
          ることになる。
           永禄七年(1564)、安中氏が松井田城に降ったことで、碓氷峠に対する直接の脅威は取り
          払われたが、この後も愛宕城が使用されたかどうかは不明である。


       <手記>
           愛宕城は、旧中山道碓氷峠越えの山道の入口にせり出した峰上に築かれています。碓氷
          川を挟んだ対岸には城峰城(坂本城)があり、ペアで碓氷峠防衛の任に当たっていたことは
          容易に推測できます。したがって、『甲陽軍鑑』の碓氷峠駐屯地が城峰城を指す可能性も、
          否定できません。
           中山道周辺の案内板やパンフレット等には「愛宕城址」としっかり書かれているのですが、
          現地には標識や説明板などは一切ありません。坂本宿側から登ると、城山の尾根の付け根
          付近に江戸時代の番所跡の説明板と石垣があり、そこから少し上ったところから尾根に無理
          やりとりついて本丸を目指します。
           尾根伝いにしばらく進むと、堀と土塁が現れます。土橋と虎口らしきものもあるのですが、
          そこから先は深い藪に覆われていて、とても進入できそうにありません。縄張り図によれば
          ほぼ単郭の城ということで、目にした堀は主郭のものということになりますが、その先を踏査
          することができないのは残念極まります。パンフにまで載せているのですから、もう少し整備
          してもらっても罰は当たらないような気がします(笑)。
           旧中山道に戻って、城山との間の山裾をしばし彷徨ってみましたが、そこで城が存在して
          いたころの旧道と思われる痕跡を見つけました。現在は、国道から旧中山道に入ってすぐの
          ところを左に折れ、一旦細尾根の上に出るようになっています。これを、左折せずに右手から
          奥へ低木をかき分けると、堀底道状の地形に出ます。ここはちょうど主郭の直下にあたり、
          かつては城の監視を受けながらこちらの堀底道を登るルートだったのではないかと推測され
          ます。
           要衝碓氷峠の出入りを監視する城ですから、武田信玄の上州進出後も、番所と番兵くらい
          は置かれていたのではないかと思います。

           
 愛宕城址遠望。
城跡への目印となる江戸時代の堂峰番所跡。 
「堂峰」は「城峰」の転訛か。 
 主郭の堀と土塁。
 折れが付いています。
土橋跡。 
 中山道側の堀と土塁。
旧道の堀底道跡か。 
 中山道は看板裏を左に折れて進みます。
 草薮の奥へ分け入ると、上述の堀底道があります。


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