| ヴェルデンベルク城 (Schloss Werdenberg) |
|
| 別称 : なし | |
| 分類 : 平山城(Höhenburg) | |
| 築城者: モーントフォルト伯フーゴー1世 | |
| 交通 : ブフス駅から徒歩25分 | |
| 地図 :(Google マップ) | |
<沿革> 1228年に、モーントフォルト伯フーゴー1世によって木製の砦が築かれたとみられている。 フーゴー1世は同年に死去したが、1232年には宮殿や城壁が設けられるなど、城の整備は 続けられた。フーゴー1世の子のルドルフ1世とフーゴー2世の兄弟は所領を分割し、ライン 左岸地域を獲得した前者がヴェルデンベルク城を居城として完成させたと考えられる。 ルドルフ1世はヴェルデンベルク伯家を興し、13世紀末葉にはそこからヴェルデンベルク= ザルガンス家が分家している。1270年、ヴェルデンベルク伯フーゴー1世は近しい間柄で あったルドルフ・フォン・ハプスブルク(後のドイツ王)と共同で、同族であるモーントフォルト= フェルトキルヒ家のシャッテンブルク城を攻囲した。フーゴー1世はルドルフの仲介を受けて 1277年にハイリゲンベルク伯領を購入し、ヴェルデンベルク=ハイリゲンベルク伯を称した。 ヴェルデンベルク=ハイリゲンベルク家はその後もドイツ王ハプスブルク家との親密な関係を 背景に領土を拡大し、14世紀半ばごろに最盛期を迎えた。1389年には新たな宮殿と主塔が 造営されたとされる。 しかし、モーントフォルトおよびヴェルデンベルク一族は多くの分家を輩出し、また同族間の 争いが絶えなかったため、経済的にも困窮して急速に衰退していった。これに付け込まれて オーストリア公ハプスブルク家に所領を削られていたヴェルデンベルク=ハイリゲンベルク伯 ルドルフ2世は、1404年にヴェルデンベルク城を分流のヴェルデンベルク=ハイリゲンベルク =ブルーデンツ伯の縁戚に当たるハインリヒ・フォン・モーンフォルト=テットナングに譲渡する よう強要された。翌年、アッペンツェル戦争でアッペンツェル市やフェルトキルヒ市らがハプス ブルク家の支援するザンクト=ガレン修道院に対抗して「越湖同盟(Bund ob dem See)」を 結成すると、ルドルフ2世はこのときの怨恨から同盟側に属し、シュトースの戦いにおいて オーストリア軍を撃破している。しかし、故地を取り返すことはできず、ヴェルデンベルク家は ハイリゲンベルクを奪還するに留まった。 1482年、ハインリヒの曽孫の代に、ヴェルデンベルク城はザックス=ミソックス伯家の所有 となった。しかし、3年後には抵当としてルツェルン市に譲り渡され、市は広々とした階段や ホールをもつ宮殿へと城館を改修した。1493年、市は城をカステルヴァルト男爵家に売却し、 1498年にはヘーヴェン男爵家が購入した。1517年にはグラールス州に売り払われ、城には 州から3年交代で代官が派遣された。 1695年、代官ヨハネス・ツヴァイフェルの就任祝賀会に際して厨房から火が出て、主塔や 宮殿が焼け落ちた。主塔は応急ですぐに修復されたため、石塔の上に現在のフォルムの 上階が継ぎ足されるような格好となった。また18世紀前葉には、宮殿も今日の姿に改装 されている。 1810年、グラールス州は城を競売にかけて売却した。その後、城は幾人かの個人所有者 の手を経て、1835年に地元のヒルティ家が購入した。城内には薬局などが設けられたが、 1956年にザンクト・ガレン州に寄贈され、今日まで州の博物館や文化センターとして運営 されている。 <手記> ヴェルデンベルク城はザンクト・ガレン州のグラープス市に属しており、最寄り駅は隣市の ブフス駅です。南東麓にヴェルデンベルク湖を戴く丘の上にあり、両者の間には伝統的な 木造家屋が並ぶ野外博物館の通りが延びています。 上述のとおり城は博物館などとなっていますが、スイスとてなかなかの入場料だったため 建物の中に入るのは断念しました^^;城庭(ブルクホーフ)には井戸や門などがありますが、 件の火災以降は、現在「宮殿(Schloss)」と呼ばれる通りほぼ居住メインで修復されている ようです。 なんといっても見どころは城山からの眺望で、高名な知人の城好き女性が「桃源郷か!」 と評したほどのメルヘンな景色が広がります。 |
|
| ヴェルデンベルク湖と城山と白鳥。 | |
| 背後主塔を見上げる。 | |
| 背後の城門。 | |
| 主塔下の二の門。 | |
| 宮殿を見上げる。 | |
| ブルクホーフの井戸跡。 | |
| 城山からの眺望。 | |
| 城山の麓の野外博物館。 | |