矢板城(やいた)
 別称  : 矢板館
 分類  : 平城
 築城者: 矢板重郎盛兼
 遺構  : 土塁
 交通  : JR東北本線矢板駅徒歩10分


       <沿革>
           平安時代末期の源姓塩谷氏重臣矢板重郎盛兼によって築かれたと伝わる。矢板氏の出自
          は明らかでなく、源姓塩谷氏2代惟純やその子惟頼の居城とする伝承もあるとされる。
           その後、矢板城は矢板氏累代の居城となったとされる。戦国時代に入り、永禄元年(1558)
          に長尾景虎(上杉謙信)が塩谷氏の主家である宇都宮氏を攻撃した際、多功長朝らとともに
          奮戦して討ち死にした武将として矢板長則の名がみられる。
           長則以降の矢板氏については定かでない。矢板周辺は、同じく塩谷氏重臣の岡本正親が
          天正十八年(1590)に豊臣秀吉から独立を認められると、岡本氏の所領となった。早ければ
          このときに廃城となったとみられているが、詳細は不明である。


       <手記>
           矢板小学校北東の交差点角に土塁が残り、神明大権現神社や城址碑、矢板長則の顕彰
          碑などがあります。城地は西の内川、東の富田堀(人工の用水川)に挟まれた高台の角で、
          西と南はかつて湿地帯だったとみられています。
           現在は市街地になっているように、それなりに発展性のある土地柄のように思えますが、
          矢板氏については出自も系譜もほとんど明らかではなく、ついぞあまり大きな勢力にはなれ
          なかったのかな、と少々不思議には感じました。

           
 矢板城土塁。
城址碑。 


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