山中氏館(やまなかし)
 別称  : 山中左衛門館、山中氏屋敷
 分類  : 平城
 築城者: 山中氏
 遺構  : 土塁
 交通  : 富士急行富士吉田駅よりバス
       「公園入口」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           在地領主山中氏の居館跡とされる。山中氏がいつごろ土着し、館を築いたのかは定かでない。
          古代には御坂路、中世には鎌倉街道が御坂峠から山中湖畔を抜け、籠坂峠へと向かっていた。
          『延喜式』にみえる甲斐国の3駅の1つ「加吉」は、「加古坂(籠坂)」の誤りと考えられている。
           『中世城館調査報告書集成』には「室町築城」とあるが、根拠は不明である。ただし、山中氏が
          史料に現れるのは、室町時代の『妙法寺記』が初出である。明応三年(1494)の武田氏の内紛
          による合戦で「山中殿打死也」とある。また大永六年(1526)の項に「山中御陣ハ未息」とあり、
          甲斐武田氏と駿河今川氏の戦いで、山中周辺が前線となったことがうかがえる。同七年(1527)
          の項には、「山中太郎左衛門」が50人を伴って御本寺を参詣したとある。
           その後の山中氏については詳らかでない。『甲斐国志』には、「甲陽浪客山中美濃守介勝天正
          十八年九月死年六十九」とある。また、慶長期に神内川村に437石を領した山中佐太夫という者
          もあり、『国志』では太郎左衛門の子孫と推定している。


       <手記>
           山中氏館は、山中湖の北東端付近に位置しています。館の中心部を国道138号線が通っている
          ため、館の正確な構造の把握は困難です。館の背後には浅間神社の丘があり、街道筋の開けた
          宿場町と門前町にあったものと推測されます。
           現在、館北西隅の土塁が比較的良好に残っています(地図に示した部分)。ここからなぞって、
          館のおおよその範囲を推し量ることができます。今では山中湖といえばテニスなどのリゾートの地
          として知られていますが、古くは街道筋の栄えた宿駅であったというのは、なかなか興味深い感じ
          がしました。

           
 山中氏館北辺の土塁。
山中氏館西辺の土塁。 


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