矢武城(やたけ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 不明
 遺構  : 土塁か
 交通  : JR徳島駅からバスに乗り、
      「羅漢」下車徒歩15分


       <沿革>
           遺跡地図に記載があるが、詳細は不明である。


       <手記>
           矢武八幡神社付近が矢武城跡とされています。本殿の西隣には、まるで境内を共有するかの
          ように金剛院という寺院があり、その基壇は南北長方形に一段高くなっています。この段差は
          外側から見るとより顕著で、あるいは土塁跡のようにも見えますが、確証はありません。
           金剛院脇には町指定史跡の応安(1368〜75)と応永(1394〜1428)の板碑があり、このうち
          後者には「応安七甲子年八月時正願主藤原成弘」と彫られています。応安七年(1374)時点で
          藤原成弘なる人物がいたことになりますが、城と関係があるのか否かは不明です。また、周辺
          には矢野姓が多く、あるいは阿波三好氏重臣・矢野氏との関連も考えられるでしょう。

           
 矢武城跡とされる矢武八幡神社。
同じく金剛院と土壇状の基部。 
 土壇状地形を外側から。
 土塁跡か。
応安および応永の板碑。 


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