雄鎮北門(ゆうちんほくもん)
 別称  : 哨船頭砲台
 分類  : 砲台
 築城者: 清朝
 交通  : 地下鉄哈瑪星駅徒歩15分
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           1681年、鄭氏政権2代・鄭経が「城門」を築いたのが始まりとされる。『澎湖台湾紀略』には、
          1685年に打狗山の賊がここに大砲を置いたと記されている。1720年の『鳳山県志』には砲台
          のほかに高楼があったとある。しかし、鄭氏政権が1683年に滅ぶと、清朝は雄鎮北門を殆ど
          顧みなかった。
           1874年に日本が台湾出兵を行うと、清朝は台湾防衛の必要性を認め、イギリス人のJ・W・
          ハーウッドを教官として招聘して打狗港防衛の要塞整備に乗り出した。雄鎮北門には砲座が
          2基設けられたが、実際に大砲が据えられたのは1894年になってであった。
           翌1895年の日清戦争により台湾が日本に割譲されると、反対勢力が台湾民主国を自称し
          抵抗した。8月には打狗でも戦闘があり、日本艦隊によって雄鎮北門は占領された。日本は
          雄鎮北門を軍事的には利用せず、大砲を撤去し港湾信号管制所とした。


       <手記>
           高雄の由来となった打狗(ターカウ)の湾口を守備する砲台です。観光名所の英国領事館の
          麓にあり、「雄鎮北門」と扁額の掲げられた城門が目印です。城門は中国の古い様式のように
          見えますが、くぐった先は小さな近代砲台となっています。
           砲座が2門だけということで、レプリカの大砲が2門設置されています。北側には当時の遺構
          とされる石造の壁と古道も展示されています。打狗港の出入りを押さえる要衝と思うのですが、
          この規模では防衛力も限定的だったでしょう。今日では湾口と海を眺めるちょっとしたスポット
          となっているようです。

  
 砲座とレプリカの大砲。
石造の古道。 
 同じく城壁。
砲台からの眺め。 
 英国領事館にある当時のジオラマ
雄鎮北門背後の英国領事館。 


BACK