安平古堡(あんぴん) | |
別称 : ゼーランディア城、オラニエ城、安平城、台湾城 | |
分類 : 要塞 | |
築城者: オランダ | |
交通 : 台南駅からバスに乗り、「安平古堡」 下車徒歩5分 |
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地図 :(Google マップ) | |
<沿革> 1622年に澎湖諸島へ進出したオランダは、スペインが台湾島への進出を図っていることを知り、 翌1623年に前身となる竹木製の簡易な砦を建造した。しかし翌1624年1月に在地のシラヤ族に 攻撃され、当時のオランダは明軍とも対峙していたこともあり、4月に台湾から一時撤退した。 同年8月、オランダが澎湖諸島を放棄する代わりに、明がオランダの台湾進出を容認することで 講和が結ばれ、上鯤鯓の旧砦を再興してオラニエ城(奧蘭治城)と名付けた。1626年には、本国 のゼーラント州にちなんでゼーランディア城(熱蘭遮城)と改称された。その後、城塞の弱点を補う ため湾口側に外郭が増設され、1637~1639年に完成した。ちなみに、『探訪ブックス 四国の城』 (小学館)にはゼーランディア城を模倣して愛媛県の今治城が築かれたとする説があるとある。 ただし、今治城はゼーランディア城より20年も早く築城されており、時系列的に整合性がない。 1658年に鄭成功が清に対する北伐軍を結成すると、当時の蘭領台湾行政長官フレデリック・ コイエットはオランダ東インド会社にゼーランディア城の強化を訴えたが、容れられなかったため、 独断で外郭北東隅に稜堡を増築した。 1661年4月30日、鄭成功率いる2万5千の軍勢が、鹿耳門からゼーランディア城の北に広がる 台江内海に侵入した。当時、ゼーランディア城には400名ほどの兵士しかおらず、鄭軍の上陸を 阻止することはできなかった。5月6日には東方対岸のプロヴィンティア城(普羅民遮)が降伏し、 鄭成功はいよいよゼーランディア城の攻略にかかった。しかし、追い詰められた籠城方の抵抗は 激しく、海陸双方で大きな被害を出したため、力攻めを諦めて兵糧攻めへ転換した。 鄭軍もまた食料備蓄が十分ではなく、兵に屯田させるなどして包囲を続けた。この間、オランダ は9月にかけて数回にわたり援軍を派遣したが、鄭軍の艦隊に阻まれ失敗している。また鄭成功 は、捕虜となっていた宣教師アントニウス・ハンブルクを使者として降伏を迫ったが、コイエットは これを拒絶したため、ハンブルクは7月21日に処刑された。 翌1662年1月、ドイツ人傭兵ハンス・ユルゲン・ラディスが城から脱走し、鄭成功に城内の窮状 を伝えた。さらにラディスは、城の南西に位置するユトレヒト砦の重要性と早期決戦を訴え、同月 25日に砦が攻め落とされた。これにより城内の士気は完全に崩壊し、ついにコイエットは同27日 に降伏した。ただし、ラディスの存在はオランダ側の記録にしかみられず、戦責を免れるための コイエットらによる創作とする説もある。 城内および島内のオランダ関係者は、持てるだけの私財と片道の食料を手に、台湾を離れた。 しかし、鄭成功は捕虜の返還には応じず、女性は自軍の兵士に妻や慰み者として売り払われ、 男性や子供は殺されるか奴隷となった。鄭成功自身も、ハンブルクの娘を妾としたとされる。 戦後、鄭成功は台南に独立勢力を構築し(鄭氏政権)、ゼーランディア城を居城として安平城と 改名した。しかし、同年5月に鄭成功は急死し、鄭氏政権は1683年に3代目の鄭克塽が清朝に 降伏して滅亡した。 清朝は安平城を重要視せず、1718年に軍装局が建てられたものの、城壁などは朽ちていった。 1868年には、イギリス艦隊の砲撃により城内の武器庫が爆発し、安平城は完全に廃墟となった。 1874年、台湾出兵の欽差大臣として台湾に赴いた沈葆楨は、安平城の南に億載金城を建造し、 安平城の残された城塁はその資材として利用された。 <手記> 安平城は、台江内海に北向きに突き出た砂嘴の先端部に築かれた要塞です。今では内海は ほとんど埋め立てられ、砂州で繋がっていたはずの南側は川と入り江になっており、当時の地形 からはだいぶ様変わりしてしまっています。 古堡は有料の史跡公園として整備され、資料館も建てられています。内郭跡にはピラミッド状の 高台と洋風建築がありますが、これらは日本統治時代に作られたものだそうです。高台の一角の 展望台からは四周が望めるものの、やはり海城らしさは感じられません。 園内には資料館に沿って外郭南辺の城壁が残っています。使われているレンガは、オランダが わざわざバタヴィアから取り寄せたのだそうです。外郭部には2か所の発掘展示と井戸跡があり、 後者の周囲には内郭で唯一残る城壁も見られます。 また、史跡公園外には外郭の北辺城壁も残っています。必ずしも遺構が多いとはいえないだけ に、見逃さないように注意したいところです。 |
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外郭南辺城壁。 | |
同上。 | |
鄭成功時代に設けられた南辺城壁の門跡。 | |
外郭の発掘展示。 | |
同上。 | |
井戸跡と内郭の城壁跡。 | |
清朝時代の古砲。 | |
展望台からの眺望。 | |
資料館のジオラマ。 | |
外郭北辺城壁。 史跡公園の外にあります。 |
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同上。 |