ツォンス ( Zons ) |
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別称 : フリーデストローム城 | |
分類 : 都城 | |
築城者: 不明 | |
交通 : ドルマーゲン駅よりバス 「シュロスシュトラーセ」バス停下車 |
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地図 :(Google マップ) | |
<沿革> 7世紀半ばごろのケルン司教クーニベルト・フォン・ケルンの遺言状に、「ツオニツォ(Zuonizo)」 ないし「ツオニツェ(Zuonice)」とあるのが初見とされる。ただし、同書にかんしては後世の改編が あるともいわれる。1057年には、ポーランド女王リヘザ・ロタリンスカがケルン大司教アンノー2世 からツォンスの統治権を譲られ、このときには「ツオノツォ(Zuonozo)」と記されている。 ツォンスの町に城壁が築かれたのは13世紀半ばごろと考えられている。1288年のヴォリンゲン の戦いでケルン大司教ジークフリート・フォン・ヴェスターブルクがブラバント公ジャン1世に敗れると、 ケルン市民の要求によりケルン大司教の「ツンツェの砦(Castrum Zunce)」が取り壊された。この 砦はツォンスにあったものと思われるが、具体的にどのようなものであったかは不明である。 1372年、ケルン大司教フリードリヒ・フォン・ザールヴェルデンは、ノイスにあったライン川の関所 をツォンスに移した。翌年、村であったツォンスは都市に格上げされ、関所防衛のために城壁と堀 がめぐらされた。また、町の南東隅にフリーデストローム城が建築された。町を囲う都城の普請が 完了したのは15世紀のことといわれる。 1463年、大司教ディートリヒ2世・フォン・モーエルスは、ツォンスをケルン司教座聖堂参事会に 抵当に入れた。1475年、ツォンスは4万といわれる神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の軍勢に包囲 された。ノイスを包囲していたブルゴーニュ公シャルル(豪胆公)の軍勢を退かせるためであったと いわれる。 1575年、大司教と司教座聖堂参事会の間で諍いが生じ、ツォンスの豚50頭が奪われるという 事件が起きた。両者の対立は「豚戦争」と呼ばれ、その後2年続いたとされる。 三十年戦争末期の1646年、ツォンスはヘッセン軍によって攻囲された。激しい砲撃が加えられ たが、陥落は免れた。 フランス革命戦争さなかの1794年、ライン左岸地域は革命軍によって制圧され、ツォンスも仏領 となった。1815年のウィーン会議によって、ツォンスを含むライン左岸地域はプロイセン領となり、 今日に至っている。 <手記> ツォンスは、ケルンとデュッセルドルフの中間付近に位置し、現在はドルマーゲン市内の一集落 となっています。町を囲う城壁と堀が非常に良好に残っており、中世の雰囲気を色濃く伝える観光 スポットとなっています。ケルンとデュッセルドルフという日本でもおなじみの都市に挟まれながら、 日本のガイドブックにはまず載っていない穴場の観光地です。観光客もそれなりにいるのですが、 東洋人の姿をまず見ないので落ち着いて見て回ることができます。 ツォンスへはドルマーゲン駅からバスを利用する必要があるのですが、駅前が驚くほど殺風景で 他に名所らしいものもないらしく、バスの運転手にこちらが訪ねる前に「ツォンスならこのバスだよ」 と言われました。 変に観光地化されていないので、城壁を散歩がてら一周し、博物館になっている城屋敷を訪ね、 門の脇のカフェやビアガーデンで休憩する、というのがせいぜいです。せかせかしがちなヨーロッパ 旅行の合間に、ちょっとした息抜き感覚で訪れてみるのが良いかと思います。とくにケルンなどは、 大都市のわりに見るべきところが多いとはいえず、個人的には大聖堂に登ってケルシュビールを 堪能すれば終わりだと思っており、早ければ半日で観光できてしまいます。もしそのように時間が 余ってしまったときには、ドルマーゲンまでケルンから電車で30分足らずですから、ツォンス観光と いう選択肢を片隅に考えておいても良いのではないかと思います。 |
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ライン門と関所塔(奥)。 | |
関所塔と東側の城壁に付属する建物群。 | |
北辺の堀と城壁。 手前の塔はクレッチェン塔(Kroetschenturm)。 |
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南東隅のフリーデストローム城を望む。 | |
南西隅の風車塔。 | |
フリーデストローム城の一角に立つユッデ塔。 | |
西門跡の外側にある豚の泉(Schweinebrunne)。 豚戦争にちなんだモニュメント。 |