小屋村屋敷(こやむら)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 不明
 遺構  : なし
 交通  : JR中央本線塩尻駅徒歩15分


       <沿革>
           『中世城館調査報告書集成』に記載があるが、詳細は不明である。享保九年(1724)編纂
          の『信府統記』所収の「松本領古城記」に「小屋村屋敷構」の項があり、木曽義仲の武将で
          金刺盛澄の弟の手塚太郎光盛の住居の地と伝えられるとあるが、あるいはこの小屋村屋敷
          に比定したものとも考えられる。


       <手記>
           小屋村屋敷跡とされる比定地は、中山道が田川を渡る河岸上とされています。ただ、遺構
          も伝承もなく、なぜこの地が城館跡と判断されたのかは不明です。一応、旧中山道に沿って
          高台状になっている箇所があり、屋敷が存在したとすればこのあたりかなと思われます。
           小屋村屋敷は、現在のところ推測上の城館に過ぎないようですが、『信府統記』にみえる
          手塚光盛の館跡であるとするならば、可能性は十分にあるように思います。近年では、光盛
          の本拠地は、今の上田市手塚にあったとするのが一般的なようですが、平安末期の武将が
          いきなり諏訪から塩田平へ入植するというのは、ちょっと飛躍し過ぎているように感じます。
          むしろ、金刺氏の本拠地下諏訪から塩嶺峠を越えた当地周辺へ進出したと考える方が自然
          でしょう。そして、東信から上野国にかけてゆかりをもつとされる義仲に従ったことで、塩田平
          への移住・開拓が可能になったと考えると、すんなりと話がつながるように思います。これも
          あくまで推測に過ぎませんが。

           
 田川左岸から比定地周辺を望む。
比定地の高台状地形。 
館跡の名残か。 


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