アックシュタイン城 ( Burgruine Aggstein ) |
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別称 : なし | |
分類 : 山城(Höhenburg) | |
築城者: マーネゴルト3世・フォン・アックスバッハ=ヴェルデ | |
交通 : メルク駅ないしクレームス駅よりバス Aggstein Sudバス停下車徒歩20分 |
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地図 :(Google マップ) | |
<沿革> 1115~25年の間に、マーネゴルト3世・フォン・アックスバッハ=ヴェルデによって築かれたと みられている。1181年には、城主家としてアックスヴァルト=ガンスバッハ家の名がみられるが、 同年中に同家は断絶し、キューンリンク家が城を受け継いだ。 1230年、フリードリヒ2世が若くしてオーストリア公となると、これに反発したハートマール3世・ フォン・キューンリンクは反乱を起こした。翌1231年、アックシュタイン城はフリードリヒ2世軍に よって包囲され、陥落した。1295年にも、ロイトルト1世・フォン・キューンリンクがオーストリア公 アルブレヒト1世に反旗を翻し、翌96年に再びアックシュタイン城は包囲され、攻め落とされた。 1355年には、キューンリンク家から派生してヴァッハウ一帯を支配していたキューンリンク= デュルンシュタイン家が断絶したため、アックシュタイン城は最後の城主ロイトルト3世の妹婿 ハイデンライヒ・フォン・マイッサウの手に渡った。1430年、オットー4世・フォン・マイッサウが城を オーストリア公に無断で売却しようとしたため、オーストリア公アルブレヒト5世(神聖ローマ皇帝 アルブレヒト2世)は城を取り上げ、財務長官のゲオルク(イェルク)・シェック・フォン・ヴァルトを 封じた。フォン・ヴァルトは、ドナウ川を航行する船からの徴税権を得ると、朽ちつつあった城を 改修し、行き交う商船から厳しく税を取り立てた。このことから、フォン・ヴァルトは盗賊騎士と みなされ、「恐怖のヴァルト(Schreckenwald)」と恐れられた。ローゼンゲルトラインの詩によって 知られる、身代金が支払われなかった捕虜を城のバルコニーから谷底へと突き落す残酷な盗賊 騎士の話は、このフォン・ヴァルトがモデルとされる。ただし、詩の内容は創作といわれている。 1463年、皇帝フリードリヒ3世の弟アルブレヒト6世が皇位を狙って兄弟相争うようになると、 アックシュタイン城はアルブレヒト6世の寵臣ゲオルク・フォン・シュタインによって包囲され、攻め 落とされた。1476年には、ゲオルクはウルリッヒ・フォン・グラーフェンエックによって城を逐われ、 オーストリア公レオポルト3世が城を譲り受けた。 1529年の第一次ウィーン包囲に際して、城はオスマン軍によって焼き払われた。戦後、城は 火砲による防衛を構想したプランのもとで改修された。しかし、1683年の第二次ウィーン包囲 では戦場とはならなかったようである。1685年に、城はウィーン包囲戦の功労者エルンスト・ リューディガー・フォン・シュターレンベルクの所有となり、19世紀初頭までシュターレンベルク家 が城主として続いた。 その後、城は1819年にフランツ・フォン・ベロルディンガーに売却され、1930年にはオスヴァルト・ フォン・ザイラーン=アスパンクが購入した。現在もなお、ザイラーン家が所有している。 <手記> アックシュタイン城は、ヴァッハウ渓谷に散在する古城のなかでももっとも有名かつ特異な城の 1つといえるでしょう。とくにドナウ川クルーズの船から眺めると、円錐形の山頂に岩塊が飛び出し ていて、さらにその上に石の城が乗っかっているという感じのフォルムが嫌でも記憶に残ります。 実際には、この岩塊の城の奥に居館部があり、アックシュタイン城は大きく分けて2つの城域から 成っているといえます。 この城を有名たらしめているのは、恐怖の盗賊騎士の伝説です。実際にはファンタジーだという ことですが、城の立地とフォン・ヴァルトの悪名を知れば、そのような伝説が生まれてもおかしくは ないように思います。 船から眺めただけなので「どうやっていくの??」という感じですが、アックシュタイン城は年間 5万人以上が訪れる、周辺ではきっての観光名所なのだそうです。 |
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アックシュタイン城ズームアップ。 | |
ドナウ川クルーズの船からアックシュタイン城を望む。 |