田中城(たなか) | |
別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 田中道源 | |
遺構 : 曲輪、堀、土塁 | |
交通 : 琴電志度線八栗駅からバスに乗り、 「船かくし」下車徒歩5分 |
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<沿革> 九州出身の田中道源は備前の浮田氏(宇喜多氏か)に仕えた後、讃岐へ移り住んで仙石 秀久に仕官したとされる。秀久が讃岐を領していたのは、天正十三年(1585)八月から翌年 十二月までの1年半弱であることから、田中城はこの間に築かれたものとみられる。なお、 田中道源の詳しい出自は不明である。 道源は慶長五年(1600)に当地で没し、跡を子の勝左衛門政種が継いだ。政種は高松藩 生駒家に仕えて浦山代官となり、讃岐の浦々島々を治めたとされる。その後の田中城および 田中城については詳らかでない。 <手記> 高級墓石の庵治石を産出することで知られる旧庵治町の港に臨む、字城鼻という小さな岬 の丘が田中城跡です。県道脇に説明板が建っていますが、そこから城内へ行くには民家の 敷地を通り抜けなければなりません。自分はとりあえず東側の道路沿いから法面を直登して みました。 よじ登った先にはトゲトゲの灌木が生い茂り、四苦八苦しながら少しずつ中心部を目指して いると、やおら先述の民家の方と目が合ってしまいました^^; お互いに面食らった様子で、 決して怪しい者ではございませんと事情を説明すると、「イノシシかと思ってびっくりした」との こと。こんなに市街や海に近いところでも近年はイノシシが頻繁に出没するのだそうです。 ありがたいことに帰りは敷地内を通ってよいとのお許しをいただき、城内へと歩を進めると、 まず大山祇宮が鎮座する平場にでます。おそらく副郭とみられますが、民家用地に削られて いるのでどこまでが遺構なのかは不明です。 神社の裏手を上がると主郭で、副郭との境には土塁跡も見られますが、郭内はド藪でした。 西側下には明確な帯曲輪が延びていて、その脇には遺構とすればたいへん見事な竪堀が 残っています。この堀は通路を兼ねていたとみられ、海へ向かって下りる途中には番所様の 腰曲輪も認められます。今でこそ北のしろばな公園との間がハーバーのようになっています が、城山の西側を字船隠と呼ぶことからも、当時はこちら側に船を着けていたものと拝察され ます。 |
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南西から田中城跡を望む。 | |
説明板。 | |
大山祇宮。 | |
大山祇宮前のようす。副郭跡か。 | |
主郭のようす。 | |
主郭の土塁。 | |
主郭西側下の帯曲輪。 | |
同上。 | |
帯曲輪から海へ下りる竪堀。 通路を兼ねていたか。 |
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竪堀の途中にある番所様の腰曲輪。 | |
竪堀付近から海を見下ろす。 分かりにくいですが美しいエメラルドグリーン をしています。 |
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おまけ:しろばな公園の純愛ロード。 付近に映画「世界の中心で、愛をさけぶ」のロケ地があるとか。 |
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純愛ロードから田中城跡を望む。 |