赤堤塁(あかつつみ)
 別称  : 赤堤城、赤堤砦
 分類  : 平山城
 築城者: 吉良氏
 遺構  : なし
 交通  : 東急世田谷線松原駅徒歩3分または、
       東急世田谷線山下駅・小田急線豪徳寺駅徒歩5分
       


       <沿革>
           世田谷領主吉良氏が、世田谷城の北の守りとして築いたとされる。その場所は、六所神社と善性寺の
          2説あり定かではない。赤堤塁の跡には、江戸時代に赤堤陣屋が設けられたとされる。赤堤塁の位置が
          不詳であることから、赤堤陣屋についてもはっきりせず、世田谷区の遺跡地図には、やはり六所神社と
          善性寺の両方が赤堤陣屋跡と登録されている。
           なお、六所神社は天正十二年(1584)に服部貞殷なる人物が、武蔵府中六所宮(現在の大国魂神社)
          を勧進して建てたものとされる。貞殷は、服部半蔵と同族で伊賀の出身とも、平将門の従兄弟である平
          貞盛の子孫とも伝わるが、詳細は不明である。


       <手記>
           赤堤塁は、世田谷城の北西1kmほどのところにあったと推定され、どちらかというと六所神社の方が、
          比定地として有力なようです。上の地図で示した左上が六所神社、右下が善性寺です。
           世田谷周辺は谷地が入り組んでいて、善性寺はそんな谷あいの舌状台地の先端に位置しています。
          対して、六所神社は独立した小丘に鎮座しています。どちらも、小城砦を築く条件は満たしていると思わ
          れ、発掘調査や確かな文献なしには決着はつかないものと思われます。ただし、いずれにしても大した
          防御力は期待できそうになく、物見程度以上の役目はもっていなかったものと推測されます。


           
 比定地1:六所神社。
比定地2:善性寺。 


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