青ヶ台城山(あおがだい)
 別称  : 青ヶ城、金沢城
 分類  : 山城
 築城者: 金沢右馬助か
 遺構  : なし
 交通  : 京浜急行金沢文庫駅からバスに乗り、
      「釜利谷高校」下車徒歩5分


       <沿革>
           『新編武蔵国風土記稿』の「城山」の項に、「古金沢右馬助が居城の地なりと云」とある。
          右馬助について、元弘元年(1331)の元弘の変に際し、鎌倉方の大将として『太平記』に
          その名が見える。該当する人物としては、15代執権・北条(金沢)貞顕の子・右馬助貞冬
          がいるが、『記稿』では貞顕もはじめ右馬助を称していたとして、その父・顕時の代からの
          金沢流北条氏累代の居跡と類推している。ただし、貞顕が就いたのは右馬権頭であり、
          貞顕の嫡男・貞将もこれを踏襲している。そのため、「金沢右馬助」自体は貞顕ではなく
          貞冬を指すとみられるが、青ヶ台に城砦が存在したとして、貞冬が築いたのか、それ以前
          から金沢流北条氏の詰城が設けられていたのかは定かでない。


       <手記>
           青ヶ台は東青野(青ヶ台)・西青野という2つの山から成る範囲を指すで、今日では両者
          とも阿王ヶ台団地として開発されています。そのうち、城跡にまつわる伝承が残っている
          のは西青ヶ台のみだそうで、埋蔵文化財包蔵地に指定されているのも、釜利谷赤坂公園
          西側の西青ヶ台に限られているようです。
           今昔マップを見ると、たしかに城砦が築かれてもおかしくはない比高60mほどの縦長の
          峰だったようですが、国土地理院地図の年代別航空写真を見ると、1960年代時点で頂部
          は広く平らにならされ開墾されていたようです。時代的にみて、金沢氏の詰城があったと
          しても、峰上を削平して立て籠もった程度のものだったでしょう。
           それにしても金沢区はとくに山谷が入り組んでいて、島崎藤村が「横浜市はすべて山の
          中である」と書いたのも頷けます笑

           
 東麓の谷戸から西青ヶ台を見上げる。
西青ヶ台東辺の斜面。 
 比定地とされる西青ヶ台のようす。
阿王ヶ台公園。比定地からは離れています。 


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