青木屋敷(あおき)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 青木三郎か
 遺構  : なし
 交通  : 小田急線鶴川駅よりバス
       「金井」バス停下車徒歩10分


       <沿革>
           『皇国地誌』によれば、源義家の家臣青木三郎の屋敷があったとされる。『大蔵村誌』に
          は、源頼朝が奥州平定の帰路にこの地に関所を設け、青木二郎に守らせたとする伝承が
          載せられている。
           町田市発行の季刊『まちびと』の2012年秋号には、「青木の台」についての紹介が掲載
          されている。それによれば、青木氏は武蔵七党の1つ丹党の庶流とされる。丹党青木氏は
          勅使河原氏の庶流とされ、入間郡青木を本貫とする。『吾妻鏡』には、源頼朝が上京した
          際の随行として「青木丹五」の名がみえる。しかし、青木三郎や同二郎については不明で
          ある。           

       <手記>
           木倉川と鶴見川の合流点に鉤字状に突き出た丘があります。この丘の頂部はやや急峻
          ですが、北側は中腹で一旦なだらかな台地状になります。この緩斜面一帯を青木(の)台
          と呼ぶそうで、青木屋敷が存在したとすればその比定地とされています。
           現在は完全に宅地として開発されていますが、それ以前から遺構らしきものは見当たら
          なかったようです。
           要害性に優れているとは言い難いですが、台地一帯は畑地を拓くには適しているように
          見受けられます。したがって、武士かどうかはともかく、この地を開拓した「青木」姓の有力
          者がいて、そのお屋敷があったとする推測は、十分成り立ちそうです。

           

青木屋敷比定地周辺現況(青木台)。


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