荒砥城(あらと)
  別称  : 八乙女城
  分類  : 平山城
 築城者 : 荒川次郎清泰
  遺構  : 曲輪・空堀・土塁
  交通  : 山形鉄道フラワー長井線荒砥駅徒歩5分


       <沿革>
          荒川次郎清泰が永長年間(1096〜1097)に城を築き、南北朝末期の元中年間(1384〜
         1392)に馬場将監が整備・拡張したものと伝えられる。戦国時代には、伊達領の最上領に
         対する重要拠点であったようで、天正二年(1574)にはじまる最上義光との戦では、伊達
         輝宗の本陣がこの城に設けられた。
          伊達家移封後は、蒲生家家臣の水野三左衛門が在城した。蒲生氏の後には上杉氏が
         入り、関ヶ原の戦いを迎えると、荒砥城は上杉氏の兵站拠点として機能した。
          別名の八乙女城は、城内に建立された八乙女八幡神社に由来する。これは、寛治元年
         (1087)に源義家が京都の石清水八幡宮を勧請し、後に石灘監物が城内に建てたもので
         ある。


       <手記>
         当城は最上川の右岸の独立丘陵を利用したもので、保存状態は良好です。特に主郭部を
        取り巻く帯曲輪(地元では空堀と呼んでいるようですが)は一見の価値があります。
         登城道の途中には「蛇井戸(じゃいど)」と呼ばれる井戸があり、有事の際には水が湧き出
        て空堀を満たし城を守ったと言う伝説も残っています。
         町の中心、鉄道の終点近くにありながら、なかなか静かなところです。




荒砥駅より荒砥城址を望む


荒砥城帯曲輪


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