足代城(あしろ) | |
別称 : 田岡城 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 三好備前守か | |
遺構 : 曲輪、土塁、堀跡、古道 | |
交通 : JR土讃線阿波池田駅からバスに乗り、 「宮の岡」下車徒歩15分 |
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<沿革> 『城跡記』に、「阿波一二八の城の中、本城二八あり。足代城もその一つで」あるとある。 『古城伝承記』によれば、三好備前守が城主であったとされる。天正五年(1577)、備前守 は白地城主大西覚養の弟で、長宗我部元親に人質として送られたのちその家臣となった 大西上野介頼包に城を攻め落とされ、都方面へ落ち延びたとされる。その後の足代城に ついては定かでない。 <手記> 足代城は、吉野川沿いに讃岐山脈から延びた峰の頂部に築かれています。南麓からの 生活道路沿いに説明板が設置され、その裏手の高台が本丸跡です。この道路は本丸の 真ん中を貫いているようで、道を挟んだ東側の民家も本丸の敷地内だったものの、昭和 五十九年(1584)に南の三三大橋が建設された際、土取りされて現在のように低くなった のだそうです。 本丸と、二の丸とみられる背後の空間は畑地として均されており、本丸北辺には土塁が 残っています。また、二の丸の北にある民家脇を通る道路は、谷戸の切れ込みを埋めて 通されており、あるいは堀跡とも考えられます。 また、説明板前から道路を下った最初のカーブからは、峰の下段の杉尾神社まで古道 が通じています。城跡付近は道が狭いため、この杉尾神社付近に車を止め、行きは車道 を歩いて登り、帰りは古道を下りるコースがおすすめです。 古道は細尾根を通るルートをとっており、途中に牢屋跡かなにかと思われる「ヲシコメ」 や、「物見の端」と呼ばれる尾根先端部があります。これらも城の大手の守備施設であり、 広々とした杉尾神社前の台地には、根古屋や集落、畑地などが営まれていたものと推測 されます。 |
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足代城跡説明板。 | |
北側の平場(二の丸か)から本丸を望む。 | |
本丸北辺の土塁。 | |
土塁上から本丸を俯瞰。 | |
二の丸背後の谷戸を埋めて通した道路。 堀跡か。 |
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本丸下の古道入口。 | |
「ヲシコメ」と「物見の端」の分岐点。 | |
物見の端。 | |
杉尾神社。 |