芦浦城(あしうら)
 別称  : 芦浦観音寺
 分類  : 平城
 築城者: 不詳
 遺構  : 土塁、水濠
 交通  : JR東海道本線守山駅または草津駅よりバス
       「芦浦」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           芦浦観音寺が城塞化したものである。観音寺は、聖徳太子開基・秦河勝創建の伝承をもつ
          古刹である。いつごろから城郭として用いられたのかは不明だが、14世紀末には戦乱により
          衰えたとのことから、南北朝時代ごろのことと推測されている。
           その後、芦浦観音寺は応永十五年(1408)に僧歓雅によって復興された。享徳年間(1452
          〜54)には、室町幕府から琵琶湖の湖上管船奉行に任じられた。
           永禄十一年(1568)に織田信長が近江に進出すると、芦浦観音寺は織田氏に従い、天正
          十年(1582)の本能寺の変の後は羽柴(豊臣)秀吉に従属した。秀吉のもとでも船奉行職を
          預かり、さらに4万石の知行を得て大いに栄えた。このころに石垣などが整備され、現在の
          姿に近づいたものと考えられている。
           江戸時代に入り、貞享二年(1685)に船奉行の職を解かれたが、寺自体は存続して今日
          まで続いている。


       <手記>
           芦浦観音寺は、今も豪壮な濠や石垣、門構えなどを残しています。ただ、それらの遺構の
          大部分は、やはり近世以降のものと思われます。
           栄耀栄華の歴史に彩られた芦浦観音寺ですが、今は集落の中で厳かにひっそりと佇んで
          います。内部の見学は要予約ということで、ちょっと遠慮させてもらいました。
           
           
 芦浦観音寺の濠と枡形を望む。
水濠と土塁。 


BACK