真板館(まいた)
 別称  : 真板氏館
 分類  : 平城
 築城者: 真板氏か
 遺構  : 不明
 交通  : 小田急線本厚木駅よりバス
       「上千頭」バス停下車徒歩10分


       <沿革>
           飯山に真板姓の旧家がいくつかあり、鎌倉時代に真板氏が字千代ヶ原付近に居を構えて
          いたとの伝承が残る。地元では、千代ヶ原の別称として「マイタッパラ」という呼び名も残って
          いるとされる。飯山の真板氏について史料にはみられないが、鎌倉時代の真板氏として知ら
          れるものに、真板五郎次郎経朝がいる。経朝は大中臣氏流とされ、13世紀中期ごろに幕府
          の御的始の射手を11回にわたって務めたことが『吾妻鏡』に記されている。
           ただし、経朝の姓は「真名板」とも書かれ、読みは「まないた」である。また経朝の居館は
          埼玉県行田市にあったとされ、経朝と飯山の真板氏との間に関連があるのか否かは不明
          である。


       <手記>
           字千代ヶ原の一角とされる場所に、江戸時代に建てられた榎地蔵があります。城跡とは
          何の関係もありませんが、千代ヶ原の範囲が定かでないうえ、周辺は一面畑地が広がって
          いるだけなので、現地で史跡らしさを感じられる唯一のものといえます。
           地蔵の前の道は、飯山観音へ向かう通称「巡礼道」で、飯山観音の歴史の古さを鑑みる
          と、おそらく鎌倉時代にはすでにあった道なのではないかと思われます。なので、真板氏と
          いう領主が存在したとすれば、この道に面したところに居館を構えていても不思議ではない
          のかな、とは感じます。
           他方で、周辺は小鮎川に面したごく緩やかな斜面の台地で、眺めはそれなりに良いもの
          の、要害性についてはほとんど感じられません。真板館があったとすれば、領主層の居住
          のための館という以上のものではなかったものと推測されます。

           
 字千代ヶ原の榎地蔵。
千代ヶ原付近(榎地蔵の西500mほどの台地上)からの眺望。 
 


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