湊城(みなと)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 安宅次郎か
 遺構  : 堀、土塁
 交通  : 高速バス西淡志知からバスに乗り、
      「水門橋」下車徒歩5分


       <沿革>
           安宅八家衆といわれる安宅氏の分家の1人安宅次郎が城主であったとされる。次郎は、
          大永六年(1526)の没とされるが、その系譜や築城の経緯、次郎以降の湊安宅氏の動静
          などは詳らかでない。


       <手記>
           湊小学校下交差点南西の台地隅が、湊城跡です。交差点から少し西へ行くと、左手に
          城址碑が見えます。城域は個人宅となっていますが、北辺と西辺の空堀は見学できます。
          城内には天尊台という櫓台があるそうですが、こちらは外側からはよく分かりません。
           堀に沿って南下すると、安宅明神または城の殿と呼ばれる安宅次郎の墓所があります。
          次郎の没年もここに刻まれていたそうです。明神前にある碑文には、天正九年(1581)の
          羽柴秀吉による淡路侵攻で落城し、廃城となったとありますが当時の城主が誰であったか
          を含め、真偽は定かでありません。また、その後に現在まで続く菊川家が城跡に居を構え、
          庄屋職を務めたとされています。

 城址碑。
北西隅の堀と土塁。 
 北辺の堀と土塁。
西辺の堀と土塁。 
 安宅明神。


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