柿原城(かきはら)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 柿原氏
 遺構  : なし
 交通  : JR徳島線鴨島駅から車で10分


       <沿革>
           『古城諸将記』に、「上桜之幕下」として柿原源吾の名が記されている。元亀三年(1572)に
          三好長治が上桜城主篠原長房を攻撃すると、源吾ら柿原一族は長房に与して討ち死にした
          とされる。柿原氏自体は存続したようで、源吾の子とされる柿原義長が天正十年(1582)の
          中富川の戦いで戦死し、このときに城も落ちたといわれる(『阿波志』)。
           柿原氏は源姓とされ、貞治元/正平十七年(1362)の白峰の戦いでは柿原孫四郎が細川
          頼之に属し、細川清氏軍に討たれたとされている。柿原城もそのころから存在した可能性が
          考えられるが、詳細は不明である。


       <手記>
           吉野川の堤防沿いに石碑のみが連なる城館群の東端に位置し、私が訪れたときは水路脇
          の水田中に城址碑が倒れてしまっていました。遺構はなく、遺跡地図にも記載されていない
          ため、実際にここに城館があったのかは定かではないようです。

           
 倒れた城址碑。
城址碑周辺現況。 


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