篠原城(しのはら)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 篠原氏か
 遺構  : なし
 交通  : 徳島自動車道土成ICから車で10分


       <沿革>
           三好家臣篠原氏の城とみられるが、詳細は不明である。篠原氏はもともと近江国野洲郡篠原郷
          の住人で、篠原宗半が阿波に下向して三好氏に仕えたとされる。宗半の孫とされる篠原長房は、
          しばしば阿波の三好軍を率いて畿内へ出陣したことで知られ、上桜城を築いて権勢をふるった。


       <手記>
           今日の案内神社境内一帯が篠原城跡とされています。吉野川の緩やかな河岸上にあり、南麓
          は鯉が優雅に泳ぐ池となっていますが、明確な遺構は見られません。少し北西に離れたソーラー
          パネル畑の中に、なぜか城址碑が建てられています。また、神社境内には樹齢500年といわれる
          大クスの木があり、事実とすれば城が存在していた当時から生えていたということになるでしょう。
           気になるのが篠原氏の出自で、近江出身であるなら篠原宗半がこの城を築き、長房が上桜城へ
          移ったと考えられます。他方で、地図にある「シノ原」の地名が古くからあるのであれば、篠原氏は
          宗半よりも前から続く在地領主であった可能性も指摘できるでしょう。

           
 篠原城跡とされる案内神社。
神社南麓の池。 
 神社西側に続く段丘面。
城域北西のソーラー畑内にある城址碑。 
 樹齢500年とされる神社境内の大クス。


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