綾部陣屋(あやべ)
 別称  : 上野城、綾部城
 分類  : 陣屋
 築城者: 九鬼隆季
 遺構  : なし
 交通  : JR山陰本線・舞鶴線綾部駅徒歩15分


       <沿革>
           寛永九年(1632)、鳥羽藩主九鬼守隆が没すると三男・隆季と五男・久隆の間で家督
          争いが勃発した。翌十年(1633)、幕府の裁定により久隆が跡目を相続したものの、3万
          6千石で摂津三田へ減転封となった。一方の隆季にも綾部2万石が新規に与えられ、
          守隆の遺領5万6千石を兄弟で分割した格好となった。他方で、両家とも内陸山間部に
          移されたことは、水軍で名高い九鬼家の勢力削減策であったといわれる。
           隆季は由良川の河岸に陣屋を設け、城下町を整備した。しかし、慶安三年(1650)に
          陣屋は火災で焼失し、翌年に南西の上野台地へ移転して再建された。以後、九鬼家は
          10代を数えて明治維新を迎えた。


       <手記>
           上述の通り、綾部陣屋と呼ばれるものには2つあります。隆季が最初に建てた陣屋は、
          現在の綾部高校東分校一帯にあったそうです。堀ノ内や南古屋敷といった地名は残る
          ものの、焼亡したこともあってか現地に陣屋跡を示すようなものは見られません。
           再建された上野の陣屋の中心部は綾部小学校から大本教本部にかけて存在したよう
          です。台地へ上がる北西の南幼稚園脇に大手門跡の標識板が建っているのが、現地に
          ある唯一の案内のようです。
           私は綾部が大本教の大本とは知らず、陣屋の建物が復元されたにしてはやけに立派
          だな〜と眺めていたら本部施設でした。東側の本宮山には中世綾部城跡がありますが、
          こちらも今は大本教の所有のようなので立ち入りは難しそうです。

 初期綾部陣屋跡現況。
上野台地の陣屋大手門跡。 
右手に案内板が立っています。 
 上野台地の陣屋跡現況。
同じく陣屋跡の大本教本部施設。 


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