別保城(べっぽ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 不明
 遺構  : なし
 交通  : 京阪石山坂本線粟津駅下車


       <沿革>
           滋賀県安土城郭調査研究所発行の『淡海の城』に記載されているが、詳細不明とある。別保の
          すぐ東側の粟津は、近江八景の1つ「粟津の晴嵐」で知られる景勝地であるとともに、木曽義仲の
          終焉の地となった粟津の戦いの合戦場でもある。


       <手記>
           国分寺の北側付近が別保城址とされています。国分寺はもとは近江国分尼寺で、粟津の合戦
          で焼失し、戦後同地に兼平寺(粟津の合戦で自害した今井兼平に因むものか)が建立され、宝永
          三年(1706)に同寺が他所に遷されたのを受けて再興されたものだそうです。
           寺の縁起をみても、城との関連はみえてこないのですが、少なくとも粟津の合戦以前からあった
          ということはないようです。
           周辺は市街地化していて、当然遺構はありません。ただ、一応比定地付近は東側(湖岸側)より
          一段高く、崖端の城館であったことが推測されます。
           ところで、この国分寺は、もと国分尼寺とは思えないほど廃れてしまっていて、裏手から近づいた
          ところ、門前に出るまで寺とさえ気づきませんでした。門前には巴御前の供養塔が建てられている
          のですが、とてもかの巴御前を供養するに十分なお寺とは思えませんでした。

           
 別保城比定地南側にある国分寺。
別保城比定地を南側から望む。 
右手(東側)が左手(西側)より一段低くなっています。 


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