千屋城(ちや)
 別称  : 千箭城
 分類  : 平城
 築城者: 千屋氏か
 遺構  : 土塁
 交通  : 高知空港より車で5分


       <沿革>
           田村荘の国人千屋氏の居城である。千屋氏は、森氏・国沢氏・蚊居田氏と並び、土佐七守護に
          次ぐ地位にあったといわれる。
           土佐守護代細川氏が田村荘に赴任してからは、千屋氏は細川氏に従った。細川政益・国益父子
          が、永正四年(1507)の本宗細川政元暗殺を受けて京都へ戻ると、千屋氏は再び独立領主化した
          ものと思われる。長宗我部国親が南進すると、千屋文大夫貞尭はこれに従ったといわれる。
           廃城時期については不明だが、慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いにおける長宗我部氏の改易に
          伴うものと推測される。


       <手記>
           千屋城は、土佐守護代細川氏の居城田村城から高知空港を挟んですぐ南側にあります。千屋氏
          は二千貫を有する大豪族であったとされていますが、それはひとえに細川氏も目をつけた穀倉地帯
          である田村荘を拠点としていたからでしょう。
           千屋城自体は、在郷領主の土居城(館城)の域を出るものではありません。おそらく二重程度の
          堀を巡らしたものであったと拝察されます。
           城跡には城八幡と石碑が建ち、周囲には墓地に転用されたものとみられる土塁の一部が散在し
          ています。城の南東にあたると思われる場所には、竹林神社が鎮座しています。神社の前の石碑
          裏には、永禄年間(1558〜69)に千屋城筆頭家老を務めた竹林隼人を祭ったものであることが記さ
          れています。

           
 城址碑と城八幡。
墓地に転用されている土塁の一部。 


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