調子城(ちょうし)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 調子氏か
 遺構  : なし
 交通  : JR東海道本線長岡京駅徒歩20分


       <沿革>
           土豪調子氏の居城とされる。現在も城跡内に調子氏の墓があるが、その墓碑銘には下毛野の
          姓が冠されている。天保年間(1830〜44)に三上景文が編纂した『地下家伝』には、下毛野氏の
          流れを汲む近衛府官人調子氏についての記載がある。それによれば、14世紀に下毛野武貞の
          子武次が調子氏を称し、代々「武」を通字としている。ただし、調子氏は平安時代から調子の地に
          居住していたと伝わる。
           このように、調子氏は幕臣ではなく朝廷に仕える官人であり、周辺でもことさら古い由緒をもつ
          家であった。このことから、中世に桂川右岸に割拠していた西岡衆とは、扱いや行動を異にして
          いたものとみられている。


       <手記>
           調子城一帯は幼稚園となっていて、遺構は認められません。比定地内に件の墓地があります。
          南に向かってやや落ち込む地形となっていて、かつては四周を水を引き入れた堀が巡っていた
          そうです。
           城跡南西端のはす向かいには調子氏ご子孫の居宅がありますが、山本正男「京都市内および
          その近辺の中世城郭」(『京都大学人文科学研究所調査報告 第53号』)では、ここは郭外である
          としています。

           
 調子城址周辺現況。
城址内に残る墓碑。 


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