ツィタデッラ
(Citadella)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: オーストリア帝国
 交通  : ゲッレールト温泉より徒歩15分
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
          1848年にオーストリア帝国からの独立を図ったハンガリー王国によりハンガリー革命が
         起こると、オーストリアは帝国軍を派遣して武力でこれを鎮圧した。再びハンガリー国民が
         反乱を企てないよう威圧するため、オーストリア帝国はブダ城を見下ろすゲッレールト山の
         上に、1850年から要塞の建設を始めた。当初はブダペストを取り囲む要塞群を整備する
         計画であったが、実際に築かれたのはツィタデッラのみである。普請には、強制的に徴集
         されたハンガリー人労働者が充てられ、1854年にようやく完成した。
          1867年、アウスグライヒによりオーストリア=ハンガリー二重帝国が成立すると、自治権
         を獲得したハンガリー王国はツィタデッラの譲渡を要求した。しかし、オーストリアはその後
         も守備兵を駐留させ続け、1899年に至ってブダペスト市に所有権が移った。翌1900年に
         城壁の一部が解体され、近代要塞としては実戦を経験することなくその役割を終えた。
          第二次世界大戦では対空砲やバンカーとして取り立てられ、1956年のハンガリー動乱
         ではソ連軍が占拠してブダペスト市街へ砲撃を行った。

       <手記>
          ツィタデッラとは英語のシタデル(citadel)と同義のイタリア語に由来し、本来は要塞を
         意味する一般名詞です。しかし、今では単にツィタデッラといえば、このブダペストの要塞
         を指します。
          ブダ城のひとつ南側の峰にあり、ブダ城の丘より60mほど高い位置にあります。なので、
         城塞跡というよりもブダ城を含むブダペスト市街全域を見下ろすことのできる絶好の眺望
         スポットとして、多くの観光客が訪れています。
          そのわりにはアクセスがあまり良くなく、山頂の駐車場まではタクシーで行くのが確実
         です。ツアーなら、ここまで観光バスも入れます。また、駐車場の少し下の住宅地までは
         路線バスも通っていて、私はこれを利用したのですが、お世辞にも使いやすい手段とは
         いえません。どうしてもバスの乗り継ぎが必要になるため、地図読みに長けている人で
         なければ迷ってしまうでしょう。
          比高約130mのハイキングを厭わない元気な人であれば、麓のゲッレールト温泉から
         歩いて登るのもおすすめです。登って下りて汗をかいて、ブダペスト名物の温泉に浸かる
         というルートも悪くないでしょう。
          肝心の要塞は、外郭の城壁がおそらく撤去されているために、山の上に突然現れる
         巨大建築といった感じです。以前は資料館やレストランとして使用されていたようですが、
         私が訪れた際には、内部に入ることはできませんでした。
          先端部からの景色はやはり素晴らしく、戦闘での実用性についてはやや疑問ですが、
         麓のブダペスト市民に対する示威効果は確かにあっただろうと思います。なにせブダ城
         を指呼の間に斜め上から見下ろせるわけですから。
          ちなみに、徒歩にせよタクシーにせよ、ツィタデッラを訪れるときは飲み物を持参して
         いった方が良いでしょう。要塞周囲には移動販売をはじめいくつかのお店があるのです
         が、飲み物やアイスなどは町中の相場の4倍以上はします。それでも日本のコンビニと
         同じくらいの値段ですが。このことはブダ城周辺でもいえるので、ブダペストを訪れたら
         まずはそこら辺のスーパーに入って飲食物の相場の値段を押さえておくといいですよ。

 ブダ城からツィタデッラを望む。
ツィタデッラの城壁。 
 ツィタデッラ先端付近のようす。
ツィタデッラからブダ城を望む。 
 ツィタデッラから見た旧ペスト市街。


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