大道寺堀切(だいどうじ) | |
別称 : なし | |
分類 : 堀切 | |
築城者: 大道寺政繁 | |
遺構 : 堀 | |
交通 : JR信越本線横川駅徒歩1時間強 | |
<沿革> 天正十八年(1590)の小田原の役に際して、松井田城将大道寺駿河守政繁によって構築 された。建設時期は、豊臣秀吉との対立が決定的となった前年(同十七年(1589))十一月 の名胡桃城奪取事件以降のことと推測される。 役が始まると、前田利家・上杉景勝らの北国勢が碓氷峠越えルートにかかった。大道寺勢 は堀切を用いて防戦したともいわれるが、兵力差を覆すことはできず、松井田城に撤退した とされる。 同役の終結後、堀切が再び使用されることはなかったものと思われる。 <手記> 大道寺堀切は、中山道碓氷峠越えの山道の途中の細尾根に設けられた1条の堀切です。 現在、尾根筋は土橋となっていますが、これは小田原の役後の街道整備で埋められたもの と推測されます。 実際のところ、堀切が穿たれている尾根は、碓氷峠越えの道中で必ずしも際立って険しい ところとはいえません。にもかかわらずこの位置に堀が設けられたのは、峠からは基本的に 下り一辺倒の道が続くなかで、この堀切の上州側には小ピークがあり、数少ない信州側の 軍勢に対して高位置から攻撃できるポイントであることが第一に挙げられると考えられます。 また、堀切の東側は刎石山まで緩やかな峰が続いており、政繁は刎石山全体を臨時の砦 として兵の駐屯地に利用しようと考えていたのではないかとも推測されます。 |
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大道寺堀切説明板。 背後に堀切跡。 |
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堀切を上州側から。 土橋はおそらく街道整備によって埋められたもの。 |
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同じく信州側から。 | |
堀跡土橋から谷底方面を望む。 |