談議所城(だんぎしょ)
 別称  : 雪ヶ峰城
 分類  : 平山城
 築城者: 山田氏か
 遺構  : 曲輪跡、堀切
 交通  : JR土讃線土佐山田駅よりバス
       「談議所」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           山田城の支城として築かれたものと考えられているが、詳細は不明である。戦国時代、山田基通
          (元義)の頃には重臣山田監物長秀が城主であった。
           天文十八年(1549)に山田城が落城した後も(落城は同二十年とする説もある)、監物は長宗我部
          国親に抵抗した。その後、長宗我部氏重臣江村親家との戦いで討ち死にしたと伝えられる。これに
          より、談議所城は山田城とともに廃城になったものと思われる。


       <手記>
           談議所城は、物部川沿いに細く延びた尾根を利用した城です。川に面した東側は断崖となっていて、
          こちらから攻め入るのは不可能といえます。
           詰の段に轟神社が鎮座し、神社の裏手には巨大な堀切が残っています。詰の段以下、南に数段の
          曲輪を設けた階郭式の構造をしています。
           『日本城郭大系』には、堀切を隔てた詰の丸の北側にも、広大な曲輪が設けられているとあります。
          たしかに城の一部かと思しき削平地や切岸状の地形が見られるのですが、神社境内以外は一帯に
          畑に転用されていて、どこまでが城の遺構なのか尚早に断ずることはできないように思われます。

           
 談議所城址近望。
詰の段裏の堀切。 


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