デュルンシュタイン城
( Burgruine Dürnstein )
 別称  : ケーンリンガー(キューンリンガー)城
 分類  : 山城(Felsenburg)
 築城者: ハートマール1世・フォン・キューンリンク
 交通  : Dürnstein駅より徒歩20分
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           12世紀半ばごろ、キューンリンク家初代ハートマール1世によって築かれたとされる。
          ハートマール1世は、キューンリンク家家祖とされるアッツォ・フォン・ゴーバツブルクの子
          ニッツォの子である。アッツォが、テーゲルンゼー修道院からデュルンシュタイン周辺の
          土地を獲得したとされる。
           キューンリンク家は、オーストリア公の家臣(Ministeriale)として仕えていた。ハート
          マール1世には子がなく、甥のハートマール2世が後を継いだ。1192年、ハートマール
          2世は主君レオポルト5世の命により帰国途中であったリチャード1世(獅子心王)を捕え、
          デュルンシュタイン城に幽閉した。前年の第3回十字軍に際し、レオポルト5世がアッコ
          を攻め落とした際に掲げた旗を、リチャード1世が叩き落としたことが原因とされる。翌年、
          リチャード1世は神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世に引き渡された。
           その後、キューンリンク家からデュルンシュタイン家が分れたとみられているが、1355
          年にデュルンシュタイン家は無嗣断絶した。城はオーストリア公ハプスブルク家の所有
          となった。1573年、神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世は、宮廷財務長官(Hofkammer)
          のライヒャルト・シュトロイン・フォン・シュヴァルツェナウにデュルンシュタインを与えた。
          1588年、シュトロインによって麓の居館も要塞化され城中に取り込まれた。
           三十年戦争末期の1645年に、デュルンシュタインはレンナート・トルステンソン率いる
          スウェーデン軍に占領された。同年、ボヘミアへ向かうことになったトルステンソンは、
          デュルンシュタイン城を爆破した。1662年には、オスマン・トルコ軍侵攻の際の避難所
          として「デュルンシュタイン宮(Dürnstein Schloss)」の名がみられるため、現地説明板
          ではこの間に城が修築された可能性を示唆している。他方で、城中の建物(Burghaus)
          については居住不能とされており、今日に至るまで倒壊寸前の廃墟のままである。

       <手記>
           デュルンシュタインは、ヴァッハウ渓谷の東の入口にある山と川に挟まれた小さな町で、
          城は町の背後の山上に完全な廃墟として佇んでいます。町自体も城壁で囲まれた中世
          さながらの古い街並みを残していて、城壁は登り石段のように山の上の城跡まで続いて
          います。
           中世の面影を残す町デュルンシュタインは、渓谷クルーズの発着点やヴァッハウワイン
          の産地として人気の観光スポットです。私の手持ちのガイドブックには「ケーンリンガー
          城址」として載っていますが、日本語の読みはどちらかというと「キューンリンガー」に近い
          と思います。そもそも、キューンリンク氏の城には違いはないですが、その居城キューン
          リンガー城は別にちゃんと存在してますし、地元でその名称を耳目にしたことはないので、
          デュルンシュタイン城とするのが結局正しいものと思われます。
           町から登城路を上がっていくと、まずは出丸のような岩に囲まれたスペースに出ます。
          ここの付け根には井戸跡があります。ここからさらにしばし登ると、城門を2つほど抜けて
          城の中庭(Hof)に出ます。主城域は、中庭と主塔の大きく2つの部分から成っています。
          中庭から上は完全な廃墟で、至るところに「自己責任で」と書かれています。といっても、
          建造物はほとんど壁しか残っておらず、廃墟の上を歩き回るわけではないので、そこまで
          危険というわけでもありません。
           主塔は、中心に山頂の岩が天を衝くように聳えていて、その周囲を石壁が囲う形で建て
          られていたようです。現在ではこの岩の頂が城内最高部となっていて、一応その上まで
          よじ登ることができます。ここからは、ヴァッハウ渓谷が一望できて壮観です。周囲の岩山
          は、なんだか欧州というより中国のようにも感じられます(行ったことはありませんが)。
           このように、デュルンシュタイン城は有数の観光地にあるにもかかわらず、廃墟のまま
          うまく保存されている素晴らしい城跡だと感じました。オーストリア観光の際にはウィーン
          からもさほど遠くないので、幽閉されていたリチャード1世も堪能したといわれるヴァッハウ
          ワインをお土産に、ぜひ訪れてみてはいかがかでしょう。

           
 中庭跡から主塔跡を見上げる。
中庭手前の二重の城門跡。 
 中庭からの眺望。
 眼下に見えるスペースは出丸か。
主塔の壁の一部。 
 同上。
同上。 
 主城域と町の間の城壁。
町の南東隅の塔跡。 
 夜にライトアップされた城跡を望む。
デュルンシュタインの街並み(右手)と城跡(左手山上)。 


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