荏原氏館(えばらし)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 荏原氏
 遺構  : なし
 交通  : 東急大井町線荏原町駅下車


       <沿革>
           荏原町駅前の旗岡八幡神社は、長元三年(1030)に平忠常の乱の平定に向かった源頼信が
          この地に宿営し、戦勝を祈願したことにはじまると伝わる。このとき、陣に源氏の白旗をたなびか
          せたことが、旗岡や旗の台の地名の由来となったといわれる。
           鎌倉時代には、源氏の末裔を称する荏原氏が館を構えたとされる。『新編武蔵風土記稿』には、
          荏原義宗が日蓮に帰依し、館を廃して土地を寄進して法華寺を建立したとある。
           南北朝時代、足利尊氏との抗争に敗れた新田義貞の子義興の一党が法華寺に潜伏していた
          との伝承もあるが、真偽は不明である。また、荏原氏のその後の去就についても明らかでない。


       <手記>
           荏原氏館は、旗岡八幡神社や法華寺の周辺に存在したとみられていますが、どちらも館跡を
          示すような遺構や案内はありません。
           八幡神社は南側に落ち込む台地の先端にあり、神社に南隣する法華寺は台地の麓にあたり
          ます。法華寺あたりに平時の館か下の屋敷があり、八幡神社あたりが物見や詰の曲輪の役割
          を果たしていたのではないかと推測されます。
           源頼信の伝承にあるとおり、荏原は眼前を後の鎌倉道が通る交通の要衝でした。館跡の近く
          には、伝承にちなむ「源氏前小学校」というカッコいい名前の小学校があります。
           ちなみに法華寺には、江戸時代に将軍徳川家斉が鷹狩の途中で立ち寄り、住職の日詮上人
          と角力(すもう)をとって、上人が家斉をさんざんに打ち負かしたというなんとも面白い言い伝えが
          残っています。

           
 旗岡八幡宮。
法華寺。 


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